平成19年度交通安全施策に関する計画
別添参考
参考-6 平成18年度交通安全ファミリー作文コンクールの最優秀作
別添参考
参考-6 平成18年度交通安全ファミリー作文コンクールの最優秀作
○小学生の部 最優秀作 〈内閣総理大臣賞〉
北海道稚内市立声問小学校 六年 中山 晴貴
みんなを守るために
ぼくの住んでいる稚内でも、多くの不審者情報が寄せられるようになり、声問小学校では、各地区毎に、上級生がリーダーになって、集団登校する事になりました。
その最初の日に、お父さんとお母さんが、
「自分のペースじゃなく、下級生のペースに合わせて上げるんだよ。」
「何があっても、慌てずに、落ち着いて行動するんだよ。」
と、アドバイスしてくれました。
下級生を見ていると、列から遅れたり、一人だけ走ったり、道端の物に気を取られる等、いろんな事が起きますが、そのすぐ横を車が走っているので、とても危険な状態になる事があります。
今までは、自分の安全だけを考えていましたが、みんなと一緒に通学するようになってから、これまでとは違う角度から、交通安全を考えるようになりました。
横断歩道を渡る時には、一ケ所に集まってから、信号が変わる時間と、全員が渡り切るのに必要な時間を考えて、スピードを調節しながら歩いています。
又、犬や猫が突然現われた時は、どうしても、そちらの方に気を取られてしまい、歩道を歩いている事を忘れそうになるので、ぼくは、歩くのを少し遅くして、みんなの様子を見ながら歩きます。
通学路の中で、一番恐いと思うのは、信号機のない交差点を渡る時です。一度立ち止まり、左右前後と列を確認してから、最後に車の音をチェックして渡ります。
特に、大きな排気音が聞こえた時は、ぼく達が先に手を挙げて歩いていても、急ハンドルを切った車が、ぼく達の列に向かって来る事があるので、要注意です。
こんな時は、危険な車が通り過ぎるのを待って、もう一度、左右前後と列を確認してから、渡るようにしています。
もしも、お父さんとお母さんのアドバイスがなかったら、こんな風にみんなの事を考えたり、身近で起きている事に、注意を払う事が出来なかったかも知れません。
ドライバーも、歩行者も、ぼくの両親のアドバイスのように、自分の事ばかりではなく、他の人達の事を考えて行動すれば、交通ルールを無視する人がいなくなって、何よりも大切な命が奪われる事がなくなると思います。
毎日、同じメンバーと一緒に通学しているので、兄弟のような気持ちになり、誰かの姿が見えない時は、どうしたのかな…?と、心配になります。
そんな声問小学校のみんなと、登下校するのは、後、六ヶ月間程ですが、これからも、交通安全を心掛けて、下級生が安心して通学出来るように、最上級生として、しっかりとリードして行きたいと思います。
○中学生の部 最優秀作 〈内閣総理大臣賞〉
愛知県豊橋市立青陵中学校 三年 林 真希
両親にもらった交通安全
私には、思い出深い一着の「上着」があります。それは、私が小学校二年生のとき、父が誕生日のプレゼントとして買ってくれた物です。色が明るいピンクで、とても目立つ物でした。私は今でもそうですが、幼ない頃から青色や緑色の服が好きで赤色やピンク色の物はあまり好きではありませんでした。だから この上着をもらったときも、あまりうれしくなかったことを覚えています。しかし、この上着をもらってからは、夜、家族で食事や買い物に出掛けるときには必ず父が、「あの上着を着て行きなさい。」と言って、着せられました。いつもなら、「真希が嫌がっているから、やめてあげて下さい。」と助け船を出してくれる母も、この「上着」にだけは、全く口出ししませんでした。実は、この上着には父と母が私を交通事故から守るために、意識的に着せた物でした。その上着は 夜でも大変目立つ物で、道路でも駐車場でも、人目に付きやすい物でした。
私は三人姉妹の一番上で、このとき、妹たちはそれぞれ五歳と二歳でした。出掛けるときには、下の妹は母が抱き、上の妹は父が手を引いていて、私は一人でちょろちょろしていたそうです。私には記憶がないのですが、一度スーパーの駐車場で車にはねられそうになったことがあって、父と母が私に夜でも目立つ服装をさせようと、あの上着を買ってくれたそうです。自動車を運転する人から見れば、子供は小さいので発見しにくいそうです。まして、夜、黒っぽい服装をしていると真近になるまで見つけることが難しいそうです。私も車の助手席に乗っていて、夜黒い人影が突然見えてびっくりしたことがあります。しかし、明るい服装や蛍光のシールなどを身に付けている人は遠くからでもよく認識できます。
あの上着は私には小さすぎて着れませんが、今でも私は夜出掛けるときには、必ず明るい服装で出掛けるようにしています。父と母が私に教えてくれた大切な交通安全の習慣です。言葉で、「自動車に気を付けなさい」とか、「道路に飛び出さない」と教えることも大切ですが、普段の生活の中でごく自然に身に付けられた交通安全の意識は、もっと尊いものだと思います。
「上着」の他にも、我が家の交通安全の方法はいくつかあります。車から降りるときは、まず父、母が降りて安全を確認してから私たちが降ります。長距離の走行になるときは予め休憩する時間、場所などを必ず決めておきます。
私の大切なあの「上着」は、上の妹を経て、今は下の妹の物となっています。かなり古ぼけてしまいましたが、今でも、夜出掛けるとき父は必ず、「あの上着を着て来なさい。」と、下の妹に声をかけます。妹はふくれっ面でしぶしぶ着替えに行きます。その後ろ姿を見送りながら、私は心の中で妹に、「あなたもいつかお父さん、お母さんの優しさがわかるときが来るから」と語りかけています。
○父親・母親、一般の部 最優秀作 〈内閣総理大臣賞〉
滋賀県草津市 地方公務員 今井 佐知子
歩け歩け、交通安全への道
「お母さん、行ってきまーす。」
今年の春、小学校一年生にあがった息子は毎朝元気に玄関を飛び出して行きます。
「車に気を付けてね。」
いつもの我が家の光景です。
思えば、まだ小学校入学前の二月のこと。息子に、
「四月から歩いて学校に行けるかな?」
と、何気なく聞いてみたところ、
「うーん。」
と不安げな様子。毎日、車で保育園の送り迎えをしていた私は、息子が自分の力で、自分の判断で、道路を歩く経験が少なかったことに改めて気付かされました。そして、その次の日から、息子と私の「歩く訓練」がスタートしたのです。
吐く息も白かった朝の通学路。息子と一緒に小学生のお兄さんやお姉さんの集団に交じりながら、小学校までの道のりを何度も歩きました。最初は、通学路はどこを通っていくのかな?学校まで何分くらいかかるのかな?そんな感覚で、ただ歩いているだけでしたが、次第に朝の通学時間帯、車の通行量はどれくらいあるのだろうか、信号のある横断歩道を渡る際に、待つ歩道のスペースは充分にあるのだろうかと、息子よりも私の方が初めての経験に必死になっていました。
「左右を見たらいいんやで。」
息子は簡単にそう言いますが、まだ幼い子どもが周りの安全を確かめようとするとき、首からもしっかり動かして見るようにしなければなりません。
「右から何が来た?」
と尋ねると、息子は、
「赤い車。」
と答えます。
「そうやね。あの車が通り過ぎたら、もう大丈夫かな?」
そう、問いかけると、
「やっぱり、もう一回、反対側も見なあかんわ。」
息子とのこんなやりとりで、横断歩道のところに立ち止まり、信号を二、三回見送ることもしばしばありました。そうして、何度も通ううちに、息子の方からも、
「お母さん、ここは駐車場やから、車が出てくるかも知れんし、気を付けなあかんなあ。」
という声が聞かれ、周りの安全を確かめながら歩く姿が見られるようになりました。
また、雨の日には傘をさし、視界の悪くなる中を訓練しました。周りがよく見えるよう傘をまっすぐに持つ。そんなことでさえ、小さな息子には苦労の連続でした。これにまだランドセルを背負い、他の荷物を持つと考えると、今しっかり訓練をしておかなければ…という思いで、息子ができるまで気長に訓練をしようと決めました。
これらの訓練は、たとえ数回できるようになったからといって、実際の現場でいつもきちんとできるとは限りません。友達としゃべっていたり、遅れをとるまいと焦っていたりすると、様々な情報を見逃してしまう恐れもあります。それならば、体で覚えて、しっかり自分の身に付くように、現場で繰り返し繰り返し教えていくことが必要ではないかと考えました。
それからというもの、
「何で信号機がついているの?」
「何で道路には白い線が引いてあるの?」
息子の素朴な疑問に答えながら、親子で交通安全についての話をする機会が、どんどん増えていきました。こうしなさい、ああしなさい…普段つい押し付けて教えがちになりますが、息子のなぜ?なぜ?に答えるかたちで、息子も私も交通安全に対する意識が深まっていったのではないかと感じています。
そんなある日の朝、いつものように小学校の前まで行くと、まだ入学前の息子を見つけた校長先生が声をかけてくださり、
「ぼく、四月からは車に気を付けて、学校に来てね。待ってるよ。」
と、頭を撫でて下さいました。その言葉に、息子は満面の笑みを浮かべると同時に、確かな自信ものぞかせていました。
黄色いカバーをかけたランドセルがひょこひょこと歩いているようで、足元もままならなかった四月。玄関先から見送る私には少し不安もありましたが、息子は生き生きとした表情で登校して行きました。今後も、現場でたくさんの経験をするとは思いますが、この数ヶ月の訓練が、息子の交通安全に対する意識を高め、さらなる自信につながったのではないかと確信しています。
今では、一歳になる弟に、
「道路に飛び出したら危ないで。」
と声をかけながら、手を引いて歩く姿が、頼もしく感じられます。
○高齢者の部 最優秀作 〈内閣総理大臣賞〉
大阪府交野市 土井 正臣
ヒヤリ体験を共有する
ガリ、ガリッ。「あっ、やった。」大きな音がして、我が乗用車は、何かに乗り上げて動かなくなった。車を降り、音のした車体右下を見ると、二十センチ角大の石のブロックを後輪が巻き込んでいた。
今年の三月、帰郷した時のこと、お墓に立ち寄るため、何時も通る田舎道を、助手席に家内を乗せ運転していた。この日は雨が降っていた。改築工事が行われていて、様子が一変していたこともあり、道を間違えて行き過ぎてしまった。
そこで引き返すべく、丁度左側に空き地があったので、ここで方向転換しようとバックして入り、出ようとハンドルを右に切った時に起きた。石のブロックを見落として、巻き込んだのだ。
駆動輪が浮き上がると車は力を失い動かない。ジャッキで車体を持ち上げて、石を取除くしかない。
丁度その時、通りがかったトラックから若い運転手が降りてきて、状況を察知、にこっと笑うと、いきなり両腕で後部バンパーを、ぐいっと持ち上げてくれたのである。車体が少し浮き上がった。とっさに私はそのブロックを引き出すことが出来た。ほんの一瞬の、あうんの呼吸であった。「いやあ、ありがとう。助かったよ。若いだけあって力があるなあ。」事実、彼はたくましい好青年であった。
家内が言った。「お父さん、しっかりして下さいよ。」「本当だ、おれも六十九歳、ちょっと腕が落ちたかなあ。」「お父さんは最近よく物を見落としますよ、気を付けて下さいね。」
そうなのだ。この前も、夕暮れ時、ホームセンターへ歩いて買い物に出かけた帰り道、暗い路地で溝に足を踏み外し、かすり傷を負ったばかりだ。
これが石のブロックでよかった。もし小さな子供がいたらと思うと、ぞっとする。大いに反省する。
実は、私は四十年間自動車学校で、技能検定、学科教習、高齢者講習を担当してきたのです。若い頃は、警察学校の初任科訓練生に対する、大型自動二輪車の指導教官として、模範走行、技能検定に携わってきました。
運転には少々自信を持っていただけに、今回の失策はお恥ずかしい限りですが、あえて述べようと思ったのは、高齢者講習を担当してきた者として、加齢による身体機能の低下、注意力の減退を、身をもって実感し、自分は大丈夫という過信が、いかにごう慢であるかを思い知らされたからです。
最近、ヒヤリハット体験を公表し、事故の再発防止に役立てようとする動きが、各方面で行われるようになりました(航空機事故、医療事故、労災事故等)。
ご承知のとおり、ハインリッヒの法則は、「一件の重大事故の影には、二十九件の中小の事故があり、その後ろには三百件のヒヤリハットの小事故が潜んでいる」というのです。人間は、ミスを犯すものであるという前提に立って、ミスを招いたその背後にある心理的原因をも探り、その情報を公開し、共有することの大切さを示唆しています。
さて、反省をこめて、私の失策を検証してみます。まず、自動車には、それ自体に死角が有ります。運転席から周囲を見回した時、見えない部分が有ります。後方は約八メートル、左は四メートル、右は一メートル、よく見えている心算の前方でさえ四メートル先までの地面は見えていないのです。ですから、バックしたり、方向転換を行う場合は、一度降りてでも、自分の目で安全を確かめる必要があるのです。そんなことはみな百も承知です。しかし、実際には、雨が降っていた。降りるのが面倒。といった怠惰な気持ち、マンネリが支配します。さらに、「なにもないだろう」と「だろう運転」をしてしまいます。「あるかも知れない」と考えるべきなのです。
また、運転は走りながら情報を眼でつかみます。この動きながら、ものを見る動体視力は、静止視力よりもぐっと落ちます。加齢により動体視力はさらに落ちます。加齢により視野も狭くなります。聴力も低下します。白内障により眼がかすみます。夜間視力も低下し、対向車のライトが特段にまぶしく感じます。認知、判断、操作も遅れがちになります。
高齢者は、こうした身体機能の低下を自覚し、これに対応した心構えを持って運転しなければならないと、自戒をこめて思った次第です。車は大変便利です。荷物の有る時などは本当に助かります。高齢者の大事な足でもあります。しかし、走る凶器ともなります。
これらのことを踏まえて、これからも地域の交通安全のため、微力ながら尽力してまいりたいと思っています。
高齢者 事故に注意と 教えきて
その我も早や 高齢者なり
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