平成20年度交通安全施策に関する計画
別添参考
参考-7 平成19年度交通安全ファミリー作文コンクールの最優秀作

別添参考

参考-7 平成19年度交通安全ファミリー作文コンクールの最優秀作

小学生の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉

青森県青森市立篠田小学校 六年 加賀谷 達彦

「気をつけて」のおまじない

我が家の交通安全の表紙の写真

今は、楽しく過ごしている。でも、ちょうど一年前の夏はとても苦しかった。

夏休みの三日前だった。もうすぐ夏休みだと思うと、わくわくしていた。友達と遊んだ帰り道、いつもよりちょっと遅くなったので、自転車のスピードが自然に速くなった。前方から車が来た。やばいと思って、ブレーキをかけた。ふらついて、へいにぶつかりそうだったので、逆にハンドルをきった。自転車は、「ドン、ガン、ガガガガン。」という音とともに、車にぶつかってしまった。何が何だかわからなかった。あっという間のような、スローモーションのような中で、ぼくは、とばされた。体が動かなかった。声も出なかった。鼻血が流れた。

しばらくすると、救急車が来た。ぼくは、救急車の中で、サイレンの音を聞きながら、頭の中があやふやで、どうなっているのかわからず、またこれからどうなるのだろうと不安な気持ちでいっぱいだった。

到着した病院で、処置室に入った。その時になって、ひじがとても痛いことに気づいた。レントゲンやCTというのをやって、待合室にいくと、お母さんもおばあちゃんも弟二人も心配そうに待っていてくれた。その後で、お父さんが作業服のままかけつけてくれた。ぼくは、やっと気持ちが安定してくるのを感じた。生きていてよかったと思った。

それからの二ヶ月半は、大変な毎日だった。ひじを曲げても、のばしても痛むのだ。レントゲンの結果を見て、お医者さんは、「はくり骨折です。はげしい運動はできません。よくなるまで治療を続けましょう。」とおっしゃった。そして、右人さし指も不自然に曲がっていたので、固定するための板をつけた。何をするにも不便で、暑くて「ああ、いやだ。」と言っているうちに夏休みが終わってしまった。柔道の練習もやるはずだったのに。旅行の予定もあったのに。ぼくは、とても悲しかった。毎日、病院へ通い続けただけの夏休み。ぼくは、あの夏休みを一生忘れないだろう。苦しかった日々。あの苦しさと引きかえに、ぼくは大切なことを学んだ。生きていることの尊さ。健康であることのありがたさ。そして何より、つらいぼくの支えになってくれた家族のやさしさ。ぼくはみんなに感謝している。

一年後の今。おばあちゃんやお母さんが、「いってらっしゃい。車に気をつけて。」と、ぼくの背中に声をかけてくれるとき、ぼくは、「うん。わかってる。」と返事する。「気をつけて」と言ってもらうと、ぼくのゆるんだ心が引きしまる。おまじないのようだ。

もう絶対に交通事故になんて、あわないぞ。

中学生の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉

広島県広島県立広島中学校 一年 高橋 由

だれにとっても安全だから

私が「交通安全」について意識し始めたのは、ついこの間のことである。その出来事がなければ、私は「本当の安全」の意味を考えることはなかったかもしれない。

それは、昨年の九月頃のことであった。今まで、元気で何事もなかった祖父が、脳出血で突然入院することになってしまったのだ。

半年程して退院した祖父は、車いすに乗って帰ってきた。祖父は脳出血による後遺症で、右半身マヒを患い、歩くことさえままならなくなっていた。

私が「本当の安全」について深く考えるようになったのは、こんな状態で退院した祖父の外出を、時々手伝うようになってからの事である。

ひとえに祖父の外出といっても、そんな簡単なものではない。もちろん、車いすや杖を使っての移動だから、普通の人のように素早く物事に対応できるわけがない。それに、杖での移動ともなると、動きがとても不安定になる。そのため、少しの段差や障害物をよけるにしても、すぐにバランスがくずれて転倒してしまいそうになるのだ。

そんな祖父の外出に付き合っていると、交通安全の大切さがとてもよく分かる。ある日、祖父の車いすを押して横断歩道を渡っていた時のことである。ゆるいカーブの向こうから、すごいスピードでやってきた車に、一瞬肝を冷やした。その日は私がいたから良かったものの、足腰の弱い祖母と二人だったらどうなっていたか、今でも恐ろしい。

それだけではない。歩道を自転車で通行している中高年の女性、歩道いっぱいに広がって歩いている小学生、私たちにとっては何でもない障害物も、祖父にとっては大きな事故につながりかねない「凶器」となる。

そしてもっと怖いのは、こんな立場に立つ前の私が、それをしていなかったかと問われた時に、はっきり「していない」と言うことができないということである。小さい頃は、おしゃべりに夢中になってしまい、広がって歩いていた事もあった。だれもいないからといって、歩道を自転車で走っていた事もあったかもしれない。

交通安全について考えた時に、一番怖いのは、だれもが無意識のうちに「凶器」になっていることではないか。「本当の安全」とは、自分だけが安全な事ではない。小さな子供やお年寄り、体に何らかの障害のある人、その全てが安全であって初めて安全といえるのだ。

自分が安全だから、「自分の安全」に気をつけているからいいのではない。自分がだれかの「凶器」になっていないか、真剣にふり返ってみた時に、「本当の安全」が生まれるのだと、私は思う。

父親・母親、一般の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉

宮崎県東臼杵郡 公務員 柏田 清美

がまんできる

「飲酒運転はしない」
いつ頃わたしの中で決めたルールかわからないが、ずっと以前から飲みに行くとよく公言していた。わたしは自他共に認めるお酒好きである。ビールが飲めれば幸せだ。

車で通勤を始めた頃、職場は家から約四十分、二十キロメートル程度の距離があった。当然職場の宴会もその付近である。東京都心などと違って交通の便は悪いので車だけが頼りである。仕事を始めたばかりの薄給では、タクシーや運転代行代も出せないので、車で仕事に行ってそのまま宴会をして車で帰るしかないのである。当然、乾杯からウーロン茶。二次会のスナックに行ってもウーロン茶である。

そのスナックのカウンターにママさん手作りのおいしそうな梅酒があった。梅酒につかった梅も大好きなわたしは、食べたいなあ。でも車運転して帰るからなあ。」とつぶやいていた。周囲からは、梅くらいいいんじゃないという声もあった。でもぐっと我慢していると、ママさんが「家に帰ったら食べなさい。」と三つもラップに包んで持たせてくれたのだ。帰るやいなや我慢できなくて玄関先で食べたことを覚えている。今から十八年も前のことである。梅の味はもう忘れてしまったが、梅一つをジッと我慢した自分の心は覚えている。

この話を友人にすると、梅くらいとやはりよく言われた。でも、梅を食べたらせっかくビールを我慢したのが無駄になると思った。宴会でウーロン茶を飲んでいるわたしに周囲は信じられない様子だったが、ビールを飲まずにいられたわたしに誰よりもわたしが驚いた。そして、わたしでも我慢できるということが分かり自信になった。自慢であり誇りだ。

転勤になると、今度は職場と自宅の中間地点に繁華街があった。運転代行代が払える距離である。だから随分と仕事帰りにお酒を飲んだ。毎日のように使うから、運転代行業者となじみになった。酔って車で寝ているといつの間にか自宅まで運転代行されていることもあった。だから安心してお酒が飲めたのである。安心して飲めるから一層ビールがおいしいのである。

お酒を飲まずにいられないわたしでも、車を運転するとなったら我慢することができる。

「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」

当たり前のことである。マナーを守れない人は、愛飲家の風上にもおけない飲む資格のない人だと思う。飲酒運転を世の中からなくすのは結局自分である。何も特別なことではない。誰にでもできることである。当たり前のことを当たり前にして、楽しいお酒をみんなで飲みたい。飲酒が悪いと言われないように飲酒運転を根絶しよう。

高齢者の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉

京都府福知山市 塩見 一剛

飲酒運転の根絶にむけて

人はハンドルを持つ時なぜ酒を飲むのでしょう。自分への甘えと厳しさの欠如からではないでしょうか。私にはそれぞれ家庭をもつ息子と娘がいます。そこには高校生から幼稚園児までの孫達がいて、毎日のように顔を見せてくれます。顔を合わせるたびにテレビ等で報道される交通事故の話が誰となく出て、特に交通三悪の飲酒運転については、断じて許してはいけないとの結論になります。

このように事故に思いが強いのは、私の母がバス待ちの中、脇見車両が突っ込み即死したことが大きく起因しています。交通事故でも避けがたい事故もあれば起きるべくして起こる事故があり、その一つが飲酒運転による事故です。身勝手な自分本位の気持から自からの命を含め、他人の命をも奪うもので絶対しない、させない、又、車に乗らないよう子供や孫達と話をしています。とりわけ交通安全の基盤は、まず家庭からと言うのが信条です。家族を事故で失くしたという体験から、幼稚園の孫でさえ「お酒を飲んだら車に乗らないでね」と念を押されます。老いて孫に教えられる一瞬です。時にして飲むと、「今日は車に乗らないのね」と言います。いつも話している輪の中で飲酒して車に乗ることは悪いことと感じています。

高齢者が、「悪いことは悪い」「ダメなものはダメ」とはっきり言葉で表わしていくことが大切です。日々の生活の中にあっても、公園のベンチ、田んぼの畦に腰をおろし、目的意識的に世間話の中で飲酒運転の恐ろしさ悲惨さを話しかけ、根絶に向けて自分達の周りを見渡していくことにしています。私達が襟を正し自分の命は自分で守る、ひいては他人の命も守ることとなり、安全・安心なまちづくりに寄与していこうと呼びかけています。罰則があるから守るのではなく、罰則のいかんを問わず人として共生共存できる社会を構築していくことは、いつの時代でも求められることでしょう。

これからは、一人ひとりの意識変革に向けての啓発活動と、周囲の断乎許さないという機運をもっともっと盛り上げていくことが大切かつ重要です。この課題の解決に向けて小さくても自分で出来る行動を粘り強く進め、一人でも多くの人達との出会いを求め、輪を広げていくことだと考えます。息の長い活動となりますが、一日一日が交通安全の日であり、尊く地球より重い命を守る日です。私達高齢者は多くの体験をしてきました。これからの社会を担っていく人達への贈り物として、交通ルールの厳守と無駄に命を粗末にしない、相手の立場に立って物を考える、こうした道理を引き継ぐ役割を果していくことで、飲酒運転根絶へ一日も早く届くことができる世の中に、その一役を実践をもって地域の中で飲酒運転追放運動に向け、これからもより一層頑張っていくことが私達の役割と思っています。

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