平成26年度 交通安全施策に関する計画

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別添参考

参考-5 平成25年度交通安全ファミリー作文コンクールの最優秀作

○小学生の部 最優秀作 〈内閣総理大臣賞〉


栃木県宇都宮市立姿川中央小学校 4年 木戸 瑛梨子


初めての班長

「えっ私が班長?むりだよ。」
お母さんから自分が登校班の班長になったと聞き,私は大きな声でさけんでしまいました。なぜかというと,私は一つ上のあきちゃんが班長になると思っていたからです。だけど,一年生が,たく山入ってきたので,今までの班を二つに分けることになり,私がもう一つの班の班長になってしまいました。

毎朝七時十分になると登校班が出発します。歩き出すとすぐにT字路の交差点を横切ります。そこは家に植木があって,右から来る車が見えません。私はいつも顔を出して右をかくにんして,ゆっくり歩き出します。よく見る車は,止まってくれますが,時々止まらずに出てくる車があるのでこわいです。安全ミラーがもっと大きいといいなぁと思います。坂を下るとまた,T字路があります。ここはよく見えるので,車が来るのが分かるし,車も横だん歩道の前で止まってくれます。車が止まってくれると私は運転手さんにおじぎをします。そうすると,運転手さんは,にこっとしてくれて,私は朝からうれしい気持ちになります。ふみ切りをこえると,通学路で一番あぶないところにきます。そこは道がせまく,カーブになっていて,家も建っているので前が見えません。おまけに歩道がありません。私たちと車,自転車が,ぎりぎりですれちがうところです。雨の日はかさを持つので,かさと車が,ぶつかりそうになります。私は,
「今日は車がこないといいなぁ。」
とお願いしながら歩きます。大きな交差点では,車がどんどん曲ってくるし,歩行者の信号は,すぐに赤に変わってしまうので,最後のありさちゃんがわたり終えるために,いつも急ぎ足で歩くようにしています。学校に着くと,いつもほっとします。

三年生までは,いつも班の後ろの方で歩き,前の人についていけば良かったので,なにも気にしませんでした。しかし,班長になって先頭を歩くようになると,通学路であぶないところが分かったり,車や自転車のこわさを感じたりするようになりました。でも,悪いことだけではありません。車の運転手さんが止まってくれたり,交通指どう員の方々が,いつもやさしく声をかけて下さったりするので,とってもうれしくなります。これからも,交通安全に気をつけていきたいです。運転手さんや,自転車に乗る人も,交通ルールを守ってくれるとうれしいです。


小学生の部受賞者 最優秀賞受賞者

○中学生の部 最優秀作 〈内閣総理大臣賞〉


宮崎県児湯郡新富町立富田中学校 2年 門田 桃子


優しさのベルト

「あいちゃんの席に座る。」
そう言って妹は,きちんとチャイルドシートに座る。しかし,初めからそうだったわけではない。最初の頃は嫌がって泣いてばかりいたのだ。となりに座る私が辛くなるほど,妹はチャイルドシートを嫌がり,体を反らせて泣いていた。私はそれを見て,「かわいそう,ちょっとくらいの距離だし抱っこしてあげればいいのに。」と思っていたのだが,父も母も絶対に妹をチャイルドシートから降ろそうとはしなかった。

私が,なぜ両親はそんなにしてまで妹をチャイルドシートに乗せようとするのかと,疑問に思っていたとき,宮崎は,チャイルドシートの使用率が全国でワースト四位だという記事を目にした。そして,使用しない理由に,「きゅうくつでかわいそうだから。」「ちょっとの距離だから。」とあった。みんな私と同じ考えをもっているのだ。しかし,しばらくたったある日,一つのニュースが耳に入ってきた。チャイルドシートをしていなかったために子供だけが助からなかった事故のニュースだ。ようやく私は,いくら泣いても,両親が妹をチャイルドシートから降ろさなかったわけが分かった。嫌がる子供を無理やりチャイルドシートに乗せるのはかわいそうだと思っていたけれど,何の罪も無いのに命を落とさなければならない子供の方が,ずっとかわいそうなのだ。

ニュースを聞いて母と話をしたとき,妹が早くチャイルドシートに慣れるようにと,母は一日二回,妹をチャイルドシートに座らせて車を運転していたことを知った。最初は一回五分,しばらく続けたら十分と少しずつ長くしていき,一か月で一回十五分必ずチャイルドシートに乗せて運転したという。初めの頃は泣き声に辛くなったけれど,「命を守るためだから。」と心を鬼にして毎日続けたのだそうだ。そうして一か月が過ぎたころ,ようやく泣かずに二十分乗ることができるようになったらしい。今では祖父母の家までの二時間を,妹はチャイルドシートに座っていることができる。

泣いて嫌がる幼い子供を乗せて運転するのは,周りから見たらかわいそうな光景かもしれない。しかし,それを我慢させてでも,たった一つの命を守ってあげるのが,本当の大人の優しさなのだと私は思う。かわいそうだと子供をチャイルドシートに乗せない人は,今でもたくさんいるだろう。私は車を運転する全ての人に,チャイルドシートがどんなにたくさんの子供の命を救っているかと,本当の優しさは何なのかを知ってもらいたい。

母は今日も妹にチャイルドシートのベルトをかけるだろう。このベルトは,命を守る優しさのベルトだ。いつか,日本中の子供たち全員に,この優しさのベルトがかかることを,私は願っている。

○一般(高校生以上)の部 最優秀作 〈内閣総理大臣賞〉


京都府京都市 池松 俊哉


祖父からの贈り物

私の祖父は86歳。一昨年ドライバーを引退した。幼い頃,車でよく魚市場に連れて行ってくれた祖父も,年齢が80を超えると体力や注意力が衰えてきた。ある日,久しぶりに祖父の運転する車の助手席に乗った。交差点に差し掛かったとき,赤信号にもかかわらず車のスピードは変わらなかった。私は思わず「信号!信号!ストーップ!」と叫んだ。祖父は慌てて急ブレーキをかけ,車は停止線を超えたところで止まった。幸い車は来ていなかったが,大きな事故につながりかねない危険な体験だった。

また,こんなこともあった。祖父が自転車を追い越そうとセンターラインをはみ出したとき,クラクションが鳴り,またも急ブレーキ。対向車とあわや正面衝突というところだった。もはや家族からは「走る凶器」と言われる始末。私たちは祖父にドライバーの引退を提案することにした。

「じいちゃん,車の運転控えたら」と言うと,頑固な祖父は「大丈夫や!心配せんでええ!」の一点張り。私たちは祖父を想う一心で繰り返しお願いした。「じいちゃんが好きだから,心配だから言ってるんだよ。関係ない人を事故に巻き込んだらじいちゃんもその人も不幸になってしまう。自分だけじゃなくみんなのために車を卒業しよう。」1週間後,さすがの祖父も根気負けして免許証を差し出してきた。

しばらく祖父は悔しそうにしていたが,そのうち歩いて外出するようになった。目的地は,近所の100円ショップだ。安くていろんなものが並んでおり,祖父にとってはたまらないようだった。気が付けば祖父の部屋にはお気に入りの100円グッズがずらり。この趣味により,祖父は歩いて外出することが苦でなくなり,以前より足腰が強くなったように思える。血圧も下がるなど,祖父は車と引き換えに,多くの見返りを得ることができたのだ。また,ご近所さんと会話する機会も増え,日々楽しそうに過ごしている。今では,野菜をいただいてきては,そのお礼にと釣った魚を自ら捌いてお裾分けしに行く。祖父はここでもまた思わぬ副産物を得ることができたようだ。

先日,我が家の玄関がキラキラと輝いていた。なんと,祖父が100円ショップで買ってきた反射材を,家族の靴や傘,自転車に貼っていたのだ。はじめは驚いたが,誰も反対したり剥がしたりしなかった。祖父を想ってドライバーの引退を勧めた私たちには,祖父の行動が私たちの安全を心配してのことだと感じられたからだ。みんな祖父にお礼を言った。すると,「自分が気をつけとっても,事故はいつ巻き込まれるかわからん。後になってからじゃ遅いからな」と返ってきた。

私は今年から社会人になって実家を出たが,外出中にふと靴の反射材を見ると祖父の顔が浮かぶ。この反射材は私の身を守ってくれているだけでなく,家族の絆をも結んでくれているのだと思う。祖父の想いがいっぱい詰まった輝くお守りが,今では私たち家族の大切な宝物となっている。


受賞者達
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