別添参考
参考-5 平成29年度交通安全ファミリー作文コンクールの最優秀作
○小学生の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
シートベルトはお母さんの手
茨城県八千代町立中結城小学校 3年 上野(うえの) 結菜(ゆいな)
今日は,お母さんと二人でおでかけ,わたしは朝からウキウキしていました。車にのるとかならずお母さんが,「シートベルト,オッケー?」と,かくにんをしてきます。だから,わたしはシートベルトをつけると,「オッケー!」と,へん事をします。でも,わたしは心の中で動きづらいし,つけるのめんどうだなと,思っていました。
出発して少しすると,「あっ。あぶない。」「キキーッ。」と急ブレーキをかけました。わたしたちの前を走っていた車が,とつぜん止まったからです。わたしは,シートベルトをきちんとつけていたけれど,前のめりにたおれそうになりました。その時,わたしは,こわい!!たおれる!!と思いました。
でも,きがつくとどこもいたくありませんでした。シートベルトをつけていたのはもちろん,運転せきからお母さんの手がのびていてわたしの体を守ってくれていました。「だいじょうぶだった。」お母さんは心ぱいしてくれました。「だいじょうぶだよ。びっくりした。」「シートベルトをしていてよかったね。」わたしは,心から本とうにそう思って,「うん。」とうなずきました。
この日から,わたしのシートベルトにたいする気もちが大きくかわりました。シートベルトは,命を守ってくれる大切なものなんだ,だから,きちんとつけなきゃいけないと強く思いました。
そして,シートベルトといっしょにわたしを守ってくれたお母さんの手。お母さんは,きけんな時,いつも一番にわたしのことを守ってくれます。シートベルトは,車にのっている人の命をきけんから守るためにつけます。シートベルトは,お母さんの手と同じなんだと感じました。そう思うと,シートベルトをつけるたびに,ぎゅっとだきしめられているような気持ちになり,つけることがなんだかうれしくなるようになりました。
今日も,家ぞくみんなでおでかけです。出発する前に,「お母さん,シートベルトつけた?」「つけたよ。」「お父さんオッケー?」「オッケー。」「わたしもオッケー。」と,今では,わたしがお母さんよりも先にかくにんしています。そして,心の中で,「シートベルトさん,今日もわたしたち家ぞくの命を守ってね。」とひとことこえをかけ,きちんとすわって出発しています。
○中学生の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
急がば回れ
富山県富山市立呉羽中学校 1年 野(つじの) 亜央(あおい)
これは,私の母がよく運転中に呪文の様に言っている言葉です。
私は,幼い頃から母が運転する車に乗って買い物に出かける事が,とても楽しみでした。
その時よく母が,「いそがばまわれ。」と,言っていたのですが,幼い私には言葉の意味が分からず,何か不思議な呪文の様に思っていました。
小学生になったある日,いつもの通り母と車に乗って買い物に出かけた時のこと,その日のスーパーの駐車場は,入る前からとても混んでいる事がわかりました。駐車場に入る近道は,とても渋滞していて,車の列が出来ていて,自転車や歩行者も通って,とても危険な状態でした。すると母が,「いそがばまわれ。」と,呪文を唱えました。
そして,その渋滞した近道は通らず,もっと先の信号がある所まで行き,そこで曲がりました。
スーパーの駐車場に到着すると母が,「さっきの駐車場に入る道,混んでいたし,自転車や歩行者も通っていて,とても危なかったでしょう。そういう時は,無理に近道をしないで,回り道になってもいいから,信号で守られている大きな道を通った方が安全だし,スムーズに到着出来るんだよ。いそがばまわれ。」と,言いました。
そこで,母の急がば回れの意味が,分かりました。
それからは,母と車に乗ると,いつも交通安全の話をするようになりました。
すると,この「急がば回れ」の呪文は,母が始めたのではなく,私の祖父が母に教えた言葉だという事がわかりました。
昔,祖父も運転中に,母に交通安全について話をしていたそうです。
例えば,信号が赤信号に変わっても,猛スピードで進んで行く車を見て母に,「あの車,信号無視して危ない思いをして猛スピードで行ったけど,またどこかの信号で止まったりするから,到着時間はお父さん達と5分も変わらないんだよ。もし,5分早く着きたいのなら,5分早く出発する,心にゆとりを持って運転しないとね。」と言いました。
今,その祖父の言葉が母を通して私に伝わっています。
私が運転出来る年齢になるのはまだ先の事ですが,祖父や母から伝えられた交通安全への想いは,心に刻んでいます。
そして,私もみんなが安心して暮らせるように,交通安全への想いを将来に伝えていきたいと思います。
○一般(高校生以上)の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
交通事故に遭って
大阪府豊中市 安藤(あんどう) 知明(ともあき)
気付くと,救急車の中だった。
朝食前に,1時間30分ほど歩くことにしている。その日も5時頃,家を出ていつもの道を辿り,いつもの交差点で青信号を確認し,渡り始めた途端に車に撥ね飛ばされた。そこまでは覚えていたが,あとは意識障害の状態に陥った。
「気付かれましたね!」
救急隊員に氏名,住所,電話番号などを伝えると,矢継ぎ早に病院や妻に連絡を取ってくれた。街中を走る救急車は何度も目にしたが,まさか自分がそれに乗って運ばれるとは想像したこともなかった。
新聞で交通事故の記事を読む度に,いつも気を付けようと気を引き締めていた。信号は青でも左右をよく見たり,なるべく運転手とアイコンタクトを取ったり,横断中は子供のように手を挙げたりと,できる限りの対策を講じていた。そうやって,それまで事故に遭わなかった。
「気を付けていても,事故に遭うときは遭うんだな!」と愚痴ると,妻がポンと私の背中を叩いた。「あなた,甘いわよ。まだまだ対策が十分ではないのじゃありませんか!?」紅茶を飲みながら,妻と話し合った。
「2月の朝5時というと,まだ暗いですよ。白っぽい服装の方が認識されやすいのと違いますか!?」と妻のコメント。
確かにあの朝,紺のジャンパーとジーンズの出で立ちであった。
「そうだな。白っぽいジャンパーとズボンを買うことにしよう」
「それとも,朝食後に歩くようにしてはいかがですか?明るくなっていますよ」
それも一理あると思った。
朝早いと交通量が少ないこともあって,昼間の時間帯と違って,車のスピードが出ていたりもする。
三ヶ月ほどして痛みも和らぎ,再び歩き始めた。妻のアドバイスに従い,10時頃から,まずは1時間ほどにした。事故に遭った交差点に来ると,足がすくんだ。渡ろうとしても,足が前へ進まない。これは無理して渡らない方がいいと判断し,引き返した。
「あなた,それ『トラウマ』って言うのかしらね」
妻の素人診断だが,まだ心理的影響が残っているとしか思えなかった。ここはひとつ無理をせず,歩ける所まで歩いて,また戻るようにした。しばらくして,妻も一緒に歩いてくれるようになった。それが安心感につながり,あの交差点も渡れるようになった。交通事故に遭ったのは不幸だったが,安全について多くを学んだのでもあった。