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「交通事故で家族を亡くした子供の支援に関するシンポジウム」の開催について

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交通事故で家族を亡くした子供の支援に関するシンポジウムのポスター

第10次交通安全基本計画では,「被害者支援」を交通安全対策の柱の一つに掲げ,交通事故被害者とその家族や遺族(以下「交通事故被害者等」という。)への支援を推進することとしている。

警察庁においては,交通事故被害者等が深い悲しみや辛い体験から立ち直り,回復に向けて再び歩み出すことができるような土壌を醸成し,交通事故被害者等の権利・利益の保護を図ることを目的とした「交通事故被害者サポート事業」(以下「サポート事業」という。)を実施している(平成28年4月1日,内閣府から警察庁に業務移管)。サポート事業では,交通事故で家族を亡くした子供の支援に向けて広く情報発信するために,一般の方も聴講が可能な「交通事故で家族を亡くした子供の支援に関するシンポジウム」を開催している。

平成30年度は宮城県において,専門家による基調講演やご遺族の方の講演,子供の頃に交通事故で家族を亡くしたご遺族等をパネリストに迎え,パネルディスカッションを実施した。

・あしなが育英会東北事務所長 西田正弘氏による基調講演
・交通事故で子供を亡くされたご遺族 渡邊理香氏による講演

渡邊理香氏による講演の写真

西田氏は,「家族との『死別を生きる』こどもたちを支える~沈黙と「あのね」の間で」と題して,交通遺児支援の歴史,交通事故で父親を亡くした自らの体験を通じて知ったことや突然家族を失い心に傷を負った子供に生じる変調,子供に対する様々な支援に携わっていく中で配意していること,どのように子供へ関わり支援していくかということについて講演した。さらに,子供達に様々な人達が関わり,その後の育ちと可能性をしぼませないような横のつながりが必要であることを講演した。

渡邊氏は,「交通事故で家族を亡くした子供の支援のために~伝えたい想い~」と題して,当時小学1年生であった長女を交通事故で亡くしたご遺族として,事故の状況,加害者や法制度に対する思いと事故に対する自責の念,周囲が何気ないつもりで発する言葉で傷ついたこと,母親として遺された息子達の悲しみにきちんと向き合えなかったことへの後悔,遺されたきょうだいに必要な支援等について講演した。また,本来卒業を迎えるはずだった年に,長女が通っていた小学校の校長から手書きの心温まる卒業の証をいただき嬉しかったこと,被害者を理解しようと努め,その目線に立ち様々な人々が寄り添う支援が重要であることについて講演した。

パネルディスカッション「子供の頃に交通事故で家族を亡くすということ」

コーディネーター:飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会幹事 井上郁美氏
あしなが育英会東北事務所長 西田正弘氏
パネリスト:子供の頃に交通事故で家族を亡くしたご遺族 1名
交通事故で子供を亡くしたご遺族 1名

子供の頃に交通事故で家族を亡くしたご遺族1名,交通事故で子供を亡くしたご遺族1名の方が,大切な家族を亡くした当時の体験談や辛かったこと,救われた出来事などについて話した。その後,ご遺族2名のお話を踏まえ,井上氏,西田氏のコーディネートのもと,ディスカッションが行われた。

子供の頃に交通事故で家族を亡くした方のお話(女性)

単身赴任をしていた父は,私が中学1年生の時に交通事故に遭い,重度の火傷を負って1か月以上の入院後に亡くなりました。

父が入院している間,母は付き添わなければならなかったので,私は親戚の家に預けられることになりました。親戚の家では心無い文句を言われるなど悲しい思いをしましたし,親戚だから力になってくれるわけではないことを知りました。

学校では,父がいつ死ぬかわからないような状況の私に,友達は「大丈夫?」と声をかけてくれ,私は「大丈夫」とも言えずボロボロ泣くしかありませんでした。しかし,私の周りには支えてくれる友達がいてすごく助かりました。先生方は「授業に集中できなければ,職員室に来ても構わない」と気遣ってくれるなど本当にありがたい環境でした。学校など身近なところに相談できて支えてくれる大人がいて様々なことで関わってくれることが,子供にとっては必要なことだと思います。

事故の詳細は,父の意識が戻らなかったので分かっていません。遺族の側から警察に何かアクションを起こし,事故の原因を究明するという行動を取れば,もしかしたら事故についてもっと調べられたかもしれませんが,当時はそんな余裕はありませんでした。被害者の家族に寄り添って,事故の原因究明や車両の調査などを手助けしてくれる機関があればよいと思います。

交通事故で子供を亡くした方のお話(女性)

当時8歳だった息子は,交差点の横断歩道を青信号に従い横断中に,信号無視で進入してきた大型特殊クレーン車に轢き殺されました。息子は,自分の背丈以上もあるタイヤで頭部から体を全て踏みつぶされてしまいました。棺が自宅に戻りましたが,息子は全身包帯で巻かれており,抱くことも触れることも許されない状態でした。触れることができたのは,息子が最後まで身につけていたランドセルと衣類でした。ランドセルは,ベルトが引きちぎられペシャンコになり,中に入っていた筆箱も鉛筆も全て潰され,衣類はボロボロに裂け,血まみれで皮膚がたくさんついていました。

長女は,当時小学6年生でしたが,自分の弟とは知らず,「3年生の男の子が轢かれて死んでしまった」という会話を聞きながら,事故直後の横断歩道を渡りました。前を歩いていた子が「気持ち悪い」と言った息子の体の一部も長女は見てしまいました。長女は事故後,全く集中力がなくなり「どうせ,いつ殺されるか分からない」が口癖になりました。長女は今でも,弟の仏壇に手を合わせることがなかなかできずにいます。その心の奥底にあるものを聞くのが私は怖く,今でも触れずにいます。

次女は当時お腹の中にいました。9歳の誕生日を前に,「私は9歳を越えることができるのかな」と言ったことがあります。三女は事故から2年後に生まれました。幼稚園の時,情緒不安定になり,突然泣いたり,体を掻きむしり血だらけになったりしたこともありました。心の病の原因は私にあったようで,私の情緒不安定が娘に連鎖をしたということでした。

私は,事故から何年経っても,自分のことや亡くなった息子のことばかりで,しっかりと娘たちに向き合ってあげることができていませんでした。私も子供達も家族みんなが,何年経っても元の生活には戻れないのです。

子供達の年齢に合わせた支援,それと,小学校・中学校・高校と申し送りがされ,地域や支援機関の間での細かな連携が必要だと思います。様々な子供達に合わせたサポートを,子供達に身近な学校,先生にしていただけたらと思います。

事故後は,自分達家族だけが別世界に突然投げ込まれたような感じです。それぞれが自分自身を責めながら生きています。せめて私が落ち着くまで,私の代わりに娘たちの話を聞き,相手をしてくれる気配りや思いやりを持って接してくれる方が,あの時にいてくれたならと今でも思います。

支援は,少しでも早く受けられるほうが,遺族は救われます。子供の支援はもちろんですが,まずは親が精神的に救われることができれば,子供達に辛い悲しい思いをさせることも減るのではないでしょうか。

パネルディスカッションの様子の写真
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