別添参考
参考-5 平成30年度交通安全ファミリー作文コンクールの最優秀作
○小学生の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
お互いに守ろう交通安全
茨城県下妻市立上妻小学校 5年 龍道(りゅうどう) 彩音(あやね)
最近,登校中の通学班に自動車が突っ込み小学生が巻き込まれる事故が多発しています。
交通事故のニュースを見るたびに,お母さんは,
「いくら交通ルールを守っていても,事故に巻き込まれる事があるのだから,だろうではなく,かも知れないと考えて,目配り気配りを忘れずに行動しなさい。」
と言います。私は頭の中で,「またおおげさな事を言ってる。そんな事を言われなくても分っているし,それに事故なんて滅多におきないよ!」と思いながら返事をしていました。
ある朝,いつものように通学路の十字路の信号を確認して横断していると,突然,車が私達の班に突っ込んで来ました。次の瞬間,「ギギギー」と,けたたましいタイヤのスレる音がなりました。私は,「あっぶつかる! 逃げなきゃ!」と頭に浮かびましたが,怖くて足がすくんでしまい,その場で目をつぶる事しか出来ませんでした。そして,「あっ私達死ぬのかも?」と思った瞬間,あの時のニュースが頭に浮かびました。「私にかぎって,事故に巻き込まれるなんてないだろう」と思う,これこそが「過信なのだ!」と気付きました。そして,今まで他人事のように思っていた自分が情けなく悲しくなりました。いつ自分の身に起こってもおかしくない事なのだと分かりました。
そして数カ月後,通学班の子達と下校していると,低学年の子が水筒を落としてしまい,車道側に転がった水筒を追って飛び出そうとしました。
私は,
「危ない! 飛び出したらダメ!」
と低学年の子の手を引いた次の瞬間,「バァン!グシャ!」と凄い破裂音がして,一瞬で水筒がぺたんこに潰れてしまいました。私達は,驚いたのと同時に車の恐ろしさを目の当たりにして,その場に立ち尽くしていました。
運転手さんは,そんな私達を無視して,何事もなかったかのように行ってしまいました。もし低学年の子が飛び出していたらと思うと背筋がゾッとします。毎朝,お母さんが,「だろう」ではなくて,「かも知れない」と考えて,気をひきしめて行ってらっしゃいと言う意味が身に染みて分かりました。
私は,お互い相手を思いやる心と時間に余裕を持ち,皆が交通安全を心掛けるようにすれば,悲しい事故が少なくなると思います。
そして,運転手さんにお願いがあります。時間がなく急いでいたのかも知れませんが,私達歩行者を,ご自分の家族と考えてみて下さい。あなたの家族に同じ事をされたらどう思いますか? 私達も,「目配り」「気配り」をして気を付けますので,運転手さんも,「安全運転」を,よろしくお願いします。
○中学生の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
孤立をなくす取り組みを
宮城県名取市立みどり台中学校 3年 鈴木(すずき) 舜(しゅん)
「父さんはまだ若いし,認知症でもないけれど,念のため眼科に行こう」
僕にはまだ七十歳の元気な祖父がいる。大きな病気もないが,最近視力が低下し車の運転が不安だという。医師をしている父に聞いてみるのが一番と考えたのだろう。二人で話し合っている声が聞こえてきた。
高齢者の運転事故が増加していることは,僕も新聞やニュースを見て知っている。認知症の患者さんは車を運転してはいけないのか,率直な疑問を父に尋ねてみた。
記憶など物事を適切に判断する脳の能力,認知機能と呼ぶらしいが,これらが一定基準以下に低下し,改善する可能性が少ない状態になった時,認知症の診断をすると教えてくれた。車の運転は常に集中力を必要とし,瞬間的に状況判断をしなければならないため,認知症が存在すると,安全に運転する事が困難になる場合があるという。その際,医師は運転免許更新の可否について診断書を書く。
交通事故は人の命に関わる。リスクがあるなら,認知症患者の免許証を禁止にするべきではないか。安易な返答をした僕は,高齢者が直面する切実な状況を知る事となった。
問題は他の交通手段が発達している都市部ではない。子供や孫達が家から離れ,高齢化が進む不便な過疎地域である。例えば八十歳の夫婦が二人で住んでいて,妻は病院通いを欠かせない状態だとしよう。夫は車の運転が可能だが,物忘れの進行は,年齢を重ねる度に実感する。免許証もそろそろ返納したい。だが,自分が車を手放したら,妻を病院に送迎できなくなる。それどころか,生活に必要な食材や日用品を買いに行く事も不可能だ。運転しなくなったその日から,夫婦の生活は破綻してしまう。介護送迎サービスを使うにもかなりのお金がかかり,毎回は使えない。
このように,運転は辞めたいが,生きていく上で簡単に辞められないという患者や家族が,病院にたくさんいるというのだ。事態の深刻さは僕でも十分理解できた。
認知症患者や高齢者が,運転免許を返せばそれで解決するという簡単な話ではない。孤立を深めないように,地域で支える必要がある。当事者だけの責任にしてはいけない。無理をしてまで運転を続ける理由を,皆でもっと真剣に考え行動するべきだと思う。
乗り合いバス「なとりん号」が,僕の街を走っている。主に高齢者が使うのだが,市民であれば安い料金で誰でも利用可能だ。空席が目立つが,より多くの人達が積極的に利用すれば,高齢者が利用しやすい時間に合わせて,集中的に運用できる事を運転手さんが教えてくれた。正直,乗るには少し恥ずかしいが,こんな僕にも出来ることがあるのだ。小さなことかもしれないが,その積み重ねが地域と交通安全を支えるのだと思う。
○高校生・一般の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
黄金色(こがねいろ)の背中
宮崎県延岡市 星野(ほしの) 有加里(ゆかり)
「今日,免許を返納してくるよ」
朝一番,きっぱりとした口調とは裏腹な淋しげな瞳で父が告げた時,寝惚け眼(まなこ)の私は一瞬で覚醒した。珈琲を飲んでいた母も吹き出さんばかりに目をまん丸く見開く。この数年,母と私が待ち続けた父の台詞だったから……。
車が好きで,運転が大好きな父。幼い頃から父の運転で家族旅行に沢山出掛けた。私が成長し,免許を取って運転し始めても,父は変わらず家族旅行でハンドルを譲らなかった。
「俺は,免許の返納なんか一生しないぞ。免許を奪われるぐらいなら,死んだ方がマシだ」
いつも鼻息荒く豪語していた父。実際父の運転は抜群に巧(うま)く,かつ安全だった。他人の運転では眠れなかった私も,父の車なら安心して熟睡できた。お蔭で私は歴代の彼氏の運転への採点が辛くなり,口喧嘩の火種が増えてしまった。…だが,この数年,徐々に父の運転に不安を覚え始めた。赤信号で直進しかけたり,前の車にぶつけそうになったり,歩行者に気付かず危うく轢きそうになったり…。
父も既に傘寿間近。判断力も瞬発力も視力も衰えたのだ。心配した私と母は,「パパ,取り返しがつかない事故を起こす前に,運転はもう卒業しようよ」と何度も説得した。だが,父は決して頷かなかった。免許を返納する事は即ち,父の生き甲斐が奪われる事だったから。だから,せめて父が運転する際は,私も極力同乗するように努め,安全に気を配った。
だが,誰よりも父自身が自らの衰えを痛感していたのだ。だから,傘寿を前にけじめをつけ,七十九歳を迎えた今朝,父は宣言した。
「俺の危険な運転のせいで人様の大事な命を奪ってしまう方が,免許を奪われるよりも死んだ方がマシだって事に気づいたんだ。いや,とっくに気付いていたけど,随分と遠回りして,やっと受け入れる心の準備ができたんだ」
父は晴れやかな顔で私と母に告げた。
「最後のドライブだ」と言って,父は母と私を乗せ,免許センターまで愛車を運転した。
「パパ,今までお疲れ様でした! ママと私をいっぱいドライブに連れてってくれてありがとう。これからは私の番だよ! 私がいっぱいいっぱいパパをドライブに連れてってあげるからね! まずは,帰りの運転は私に任せて!」
免許を返納した父を気遣い,明るく労うと,
「三十年早い! お前の運転は下手過ぎて,怖くて乗ってられん。…よーし,じゃあ今日からの俺の生き甲斐は,助手席に乗ってドライバー劣等生をビシバシ,特訓する事に決めた」
憎まれ口を返す父に,思わずムカッ!
…でも,まあ,『鬼教官』として新たな老後の生き甲斐を見つけてくれたなら,それでよしとするか。…と父思いの娘は寛大に許した。
帰りは,私の運転で黄昏の海岸ドライブ。
海へ降りると,両親は並んで浜辺に座った。六十年の車人生の誇りだった金色(ゴールド)免許を自主返納した父を寿(ことほ)ぐように,黄金(こがね)色の夕陽に照らし出されたその背中を私は誇らしく眺めた。