出典:UFB36(2010)Rättspraxis i skolan, UFB 2009/10、Del 6, Norstedts Juridik,
ss.228-243, ss.293-319
目次
UFB(2010)Rättspraxis i skolan, UFB 2009/10、Del 6, Norstedts Juridik, s.228
3.6.3 援助措置(stödåtgärder)(特別な授業集団särskila undervisningsgruppを含む)
支援を必要とする児童生徒への特別な支援
(2005年5月10日、学校教育局決定、文書番号:51-2004:2564)
適用される法: | 学校教育法(1985年第1100号):第3章第1条、第4章第1条、 第10章第3条 基礎学校施行令(1994年第1194号):第3章第3条及び第4条、 第5章第1条、第5条、第10条、第6章第9条、第10条、 第8章第1条、 |
検索キーワード: | 教育を受ける権利、特別な支援(särskilt stöd) |
学校教育局(Skolverket)は、L君の両親から苦情の通知を受けとった。内容は、L君が学校から少なくとも10週間から12週間の停学処分を受けた。そのことで、L君の両親が学校に対し、学校側が彼らの息子の教育を受ける権利を奪ったこと、彼が受けるはずであった特別な支援(särskilt stöd)を受けられなくなったことの異議申し立てであった。
L君は、ユースダール・コミューンのフェリーラ学校の第8学年に在学していた。
L君の両親によると、L君は2003年の秋学期に8週間の停学処分と2004年の春学期の初めに2週間の停学処分、そして、2004年の秋学期の全期間にわたって停学処分を受けた。
L君は、それまで授業を受ける上で何の支障もなかったが、基礎学校5年生の終わり頃から難しくなってきた。彼は非常に努力しなければならなかった。彼はその頃、問題が生じ、それはどんどん悪化していった。基礎学校第6学年になり、彼は新しいクラス担任の先生とうまくいかなくなった。その先生は、よく、L君のかぶっていた帽子を無理やり取り上げ、いつも仲たがいしていた。L君の両親はその担任教師に、その帽子はL君の個性(自己主張)なので、無理やり奪い取るなどせずに、他にもっと良い注意の仕方があると異議申し立てをした。
L君が停学処分を受けることになった経緯は、2003年の秋学期、L君は、学食で帽子をかぶっていた。それを見た担任の先生は、いつものように、強引にL君の帽子を奪い取り、職員室に持っていき、鍵をかけた。L君からしてみれば、その担任教師が注意もせずに、何も言わず、いきなり帽子を奪い取ったように感じた。そのことに大変、腹を立てたL君は、その日の午後、職員室に自分の帽子を取りに行った。だが、結局、帽子を取り返すことはできず、そのことにとても腹を立てたL君は、先生に向って、侮辱的な汚い言葉を吐いてしまった。それにより、L君は帽子を返してもらうことはできず、8週間の停学処分になってしまった。
L君の両親は、学校から、毎日L君がトイレに行くと嘘をつきそのまま授業をさぼったとの連絡を受けた。
2004年1月28日、他の先生が、L君が授業をさぼるとの理由で、L君の帽子を無理やり奪い取った。L君の両親と担任教師は、もしL君が授業をさぼったら、彼を放っておくという意見で合意した。そのことで、L君はとても腹を立て、彼の担任教師と大喧嘩をした。ますます、腹を立てた彼は、学校にあった骸骨の模型を壊し、自販機を倒した。その事件後、彼は2週間の停学処分を受けた。これらの停学処分期間中、彼は学校に来ることを許されず、授業を受けることができなかった。
2004年9月、L君は、また停学処分を受けた。L君にいじめに合っていた生徒の親が、L君と彼の友達を車で後を追った。だが、その後、いじめていたのは、L君ではなかったことが発覚した。彼は何もしてないのに、全てを彼のせいにされ、そのことに大変腹を立てた彼は、自分の手で何とかしようと思った。そのいじめられていた生徒をL君は脅し、彼女の腕をなぐった。彼が学校に行ったとき、その生徒の親に対し、大口をたたき、生意気な態度を取った。その事件がいじめられていた生徒の親によって、警察に通報された。学校はその事件の経緯について調べていなかったが、いじめ反対の生徒たちがいじめをしていた本当の犯人を見つけ出し、もうしないように注意していた。
2004年9月に起きたもう一つの事件は、停学処分中にも関わらず、L君は友達を訪ねに学校に来た。休み時間が終わったら、すぐ帰るつもりだったが、校長に見つかり、すぐに怒られたL君は、そのことにまた反感を感じた。
2004年9月中旬、学校はL君の家に学校のホームレターを送るのをやめた。L君は学校から完全に追い出されたのだ。L君は完全に見放され、全ての希望を失った。
2004年11月、L君の両親は、校長に会いに行き、L君に4週間の課外学習と1日に50分、家で勉強できるという、チャンスを与えてくれないかとお願いした。
2004年11月16日、その話し合いの末、L君は午後2つの授業を受けられ、課外学習なしという条件で、学校に戻れることになった。
授業は、他の生徒とは別に、家庭学習をすることになった。
2004年12月20日、L君は学校へ行った。しかし彼は、午後にあるダンスレッスンは受けなかった。
L君の母親は、校長と話し合うのは難しいと感じ、学校は、L君に対して、必要なサポートをしていないと思った。L君の筆記は上達しておらず、母親は、L君は学校に戻れそうにないと感じたのだ。
ユースダール・コミューンは、このL君の事件に関して、以下のように対処した。
基礎学校第6学年(2002/2003学年度)
2003年4月に開かれた学校でのミーティング(elevvårdskonferens)で、L君が基礎学校第6学年に在籍していた時に、L君の教育的並びに心理的な面に関して調査することが決定された。特別指導コーディネーター(specialpedagog)によると、L君は学ぶ上での何か特別な困難な問題や、学習面での障害などはないとみなされた。学校のカウンセラー(skolpsykolog)による、基礎的な心理テストで彼には多少の集中力の欠如が認められた。しかし、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の確実な特徴は見つからなかった。
2003年、第6学年の春学期、L君の算数のアシスタントは、L君に学校の規則に従う能力が欠如していること及び授業を受けることが困難である等の理由により、しばらくの間、彼には少人数のグループ内で授業を受けさせると決定した。その目的はL君がクラスに戻ることであり、同学期の終了時にはその目的は果たされた。
基礎学校第7学年(2003/2004学年度)
基礎学校第7学年にあがる頃、学校は、L君には、授業についていくための状況が整い、彼専属のアシスタント(personlig assistent)無しでもやっていけると判断した。
2003年9月9日から11月16日に、L君は学校でどの授業も受けなかった。
2003年11月17日から冬休みまで、L君は学校で授業を受けたが、たくさん受けられなかった。
2003年11月17日にL君が学校に戻ってきたときに、L君への「わかりやすく、安心できる状況」(tydlighet och trygghet)を整えるための措置が取られた。この措置は、曖昧だったL君のスケジュールが明確で、次に彼のためにどういうサポートをするのかという対策が練られていた。L君と彼の友達が同じスケジュールになるようにし、彼のお気に入りの先生を彼の担当にした。これらのことを提案した、Lの勉強の面倒をみていた、特別指導コーディネーター(specialpedagog)が病気になり、長い間仕事から離れなければならなかったので、退職を余儀なくされた。L君が受けている授業に対応できる臨時教員(resursperson)が雇用された。
校長は、L君の両親に毎週1回会い、その週がどのようにいったか、そして、次の週はどうするかなどを話し合った。この打ち合わせは、L君が家と学校、両方でうまくやっているかという確認のためにも行われていた。
2004年1月29日から2月13日にL君は、学校の授業も家庭学習も受けられなかった。学校側が両方の授業を与えるのをやめたのだ。なぜならば、先生たちは、L君のスケジュールやL君のための対策のこれからのプランを見直し、新しいプランを考えるためだったからだ。
この件のあと、2004年1月28日、これからL君への新しい対策ができ、その契約が結ばれた。
基礎学校第8学年(2004/2005学年度)
2004年秋学期の間、L君の両親、ソーシャルワーカー、教師そして校長によるミーティングが毎週開かれ、対応の良し悪しを話し合った。
2004年9月20日から11月16日、2004年9月27日付けの校長の決定に従ってL君に在宅での特別指導(undervisning i hemmet)が行われた。
ユースダール・コミューンの児童及び教育に関する委員会(barn och utbildningsnämnden)は、2004年11月17日、L君が一刻も早く、普通の子どもと同じように学校に通えるように対策を立てる任務は教育長が請け負うと決議した。
2004年11月17日から、2005年春学期の間、L君は、「特別調整プログラム(anpassad studiegång)」を受けた。
初めの頃、L 君は、週に3日は課外学習、週に2日は1日に2つの授業を受けて通学した。冬休み後は、L君は週に2日の課外学習、週に3日は1日に2つの授業を受けた。L君が「特別調整プログラム」を受けることになったのは、L君の両親、ソーシャルワーカー、先生達、そして学校側にとって、L君が学校に通い続けるたった一つの方法に思えたからだった。
追跡検証及び評価
上記の学校によるL君への対策は彼の両親に報告され続けた。教師もL君の経過を日誌に記録の上で彼の両親にメールで報告した。記録内容は、両親との話し合いに活用された。この対策の問題は、L君が定期的に行われていた話し合いにあまり参加しなかったことだ。そのため、話し合いは、L君抜きの教師と彼の両親で行われ、対策方法は決まっていったのだが、両親としてはL君が了解しなければ、その対策を実行させたくなかったのだ。
L君が基礎学校第6学年の2003年の春学期から、その対策は始まり、それは長い時間がかかる目標と短い時間で達成できる目標だった。学校はこれらの計画と目標に沿って、継続していった。これらの目標は今現在の学年まで変わらなかった。
話し合いの場を設けても、L君が参加したがらないので、あまり進歩がなかった。彼の両親とは、成績についての話ばかりだった。
2004年の春学期の間、学校は、社会福祉サービス課の「個人及び家族ケア部門並びに児童ケア部門」(TRYGGVE37という名称の支援チーム)の担当者と連絡を取った。また2004年秋学期には、個人及び家族ケア部門の担当者とも連絡を取った。また、学校は児童・青少年精神医療センター(BUP)とある程度の繋がりを持っている。
学校の管理者は、国の学校教育局(skolverket)に、2004年11月17日付けのユースダール・コミューンの子ども・教育委員会(barn- och utbildningsnämnden)が決めたL君の学校復帰対策の資料、児童生徒指導会議の審議に関する2003年4月24日と28日そして、2004年9月30日付けの合計3つの議定書、学校の職員のL君についての会議の議定書、L君、そして、その両親と学校間の契約、家庭での学習を決定した文書、「特別調整プログラム」を決定した議定書、そして、L君についての教育上の調査所見を送った。
L君の両親は、学校が言ったことに納得できなかったので異議申し立てをした。特に納得のできなかった点を主張し補足説明を行った。L君の両親はL君がスウェーデン語と英語と数学と社会の科目で合格点に達するように、十分な指導を受けられることを願った。
2004年の秋学期の終わりにL君は週3日の体験学習(praktik)と学校での週2日の、1日あたり2科目の授業からなる特別指導(anpassad studiegång)を受けた。L君が課題としてのバイク修理を完成させた頃の体験学習は上手くいっていた。しかし、態度があまり良くないL君に何らかの仕事を与えなければならないことは、職場の人たちにとっては難しいことだった。L君はときどき仕事や職場に姿を現さない時もあったが、それでも彼は少しずつ良くなっていった。
L君は現在、フェリーラ学校で週3回、1日あたり2つの授業を受けている。L君は、体験学習(praktik)はもう必要ないと判断して、週に2日の体験学習には参加していない。その分の2日間も学校に行かせてほしいと、両親は学校に頼んでみた。彼の両親の考えでは、そうすればL君の毎日のリズムが他の生徒とあまり変わらなくなり、L君の学校でも状況も良くなると思った。L君はある日、学校のテストで良い結果を出すことができ、大変喜んだ。そして、教師からも良い反応があった。
しかし、校長は、L君の両親が希望した、学校に行く日数を増やすことを拒否した。L君が何でも彼の思い通りにいくように、甘やかすのは良くないと思ったからだ。その上、L君が週3回の授業を、きちんとこなしてなかったので、それ以上増やすのはいい考えだと思わなかった。
両親は、L君が今の調子でやる気を保ってくれないと、これから、学校に行く回数を増やすことができないと思い、心配していた。基礎学校8学年の学年試験に合格することはとても重要で、それに合格しなければ、9学年に進級することも危ぶまれるからだ。
学校教育局の見解
児童生徒の、教育を受ける権利
学校教育法第3章第1条によると、スウェーデン国籍の全ての子どもは学校に行くことが義務である。就学義務とは、児童生徒にとって公教育制度の中で教育を受ける権利があるということである。
学校/学校管理者が義務教育を受けている児童生徒を教育から締め出すことは、法律的な権利としては存在しない。基礎学校令第6章には、規律的処置の形で、教育から締め出す規定は存在する。同施行令第6章第9条には、児童生徒が問題を起こした場合、教師は児童生徒を教室から追放することが許される。ただし、授業時間の残りの間、又は、学校の終了時間後1時間以内に限り、しかも監視付きであることを条件に認められている。児童生徒が重大な問題を起こした場合は、校長に報告すると同時に、児童生徒指導会議(elevvårdskonferensen)にも報告する決まりになっている。同会議は、当該の児童生徒の保護者に通知した後、状況に応じた措置(åtgärder)を取ることで子どもが改善するようにしなければならない。
学校教育法第10章第3条では、基礎学校では、病気その他の理由で、授業に出席できない場合は、病院等又は児童生徒の家、その他の適切な特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)が設定されなければならない。
特別指導グループは、病気その他の理由で授業を受けられない場合だけに適用される。しかし、その「病気その他の理由」というのは曖昧であるが、それ以上の規定はない。しかしながら、L君のような規律上の問題を抱えている児童生徒に対して、そのような特別指導を用意するべきでは絶対にない。
上記に示されているように、学校側はそのような理由で生徒を停学処分にしてはいけない。
L君は2003年9月9日から11月16日まで授業を受けさせない停学処分を受けた。また、2004年1月29日から2月13日までの期間も停学処分を受けていた。学校によると、担当教師が新しい対策を練る時間が必要だったので、彼はその間、授業を受けられなかった。2004年9月20日から11月16日も、L君は何の授業も受けることができなかった。学校側は、新しい対策を校長が決めるまでこの期間中は自宅学習をするように言った。
学校教育局(skolverket)は、この件に関して、非常に重要視しており、L君から義務教育を受ける権利を学校側が奪ったものとみなした。さらに、学校教育局は、この特別指導の決定にも問題があるとみなした。学校教育法第10章第3条の規定による基準を充足していない。上記の理由で、ユースダール・コミューンは児童生徒の学校教育を受ける権利を保証していないとして、学校教育局(skolverket)から非難された。
特別な支援を受ける権利
学校教育法第4章第1条と基礎学校令第5章第1条には、特別な支援(särskilt stöd)は、学習に何らかの支障がある児童生徒に与えられなければならないとされている。
「基礎学校のための教育課程」(Lpo94)によると、校長は、児童生徒の学習の結果に責任がある。よって、規定の範囲で、どのような授業のスケジュールを立てるか、児童生徒に問題がないか、もしあるならば、特別な支援(särskilt stöd)を行うなどの対策をとる。
基礎学校令第5章第5条によると、特別な理由がある場合は、特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)ではなくて、特別な支援(särskilt stöd)を提供することができる。また、学校当局(styrelsen)は、保護者との話し合いの後に、特別な支援を与える決定を下すことができる。特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)へ入れる決定は、基礎学校令第8章第1条の規定に従って可能である。また、その決定は、異議申し立て処理委員会によって異議申し立ての対象となる。
基礎学校令第5章第1条では、校長は、特別な援助措置(särskilda stödåtgärder)を必要とする児童生徒を対象に、援助措置プログラム(åtgärdsprogram)を用意する責任があると規定されている。
基礎学校令第3章第3条では、児童生徒の指導に関する問題については、児童生徒指導会議(elevvårdskonferensen)を校長の職務として開催することが規定されている。同施行令第3章第4条では、校長、児童生徒指導会議の代表者、学級担任教師、その他の関係職員がメンバーとしてその会議に出席することを義務付けている。
同施行令第5章第10条では、学校当局は、何らかの問題を抱える児童生徒が、その状況に応じた指導を受けられないような場合、児童生徒指導会議(elevvårdskonferensen)を開いたあと、特別指導(anpassad studiegång)を行うのは許されている。その場合、通常の授業のタイムスケジュールから外れて授業を実施することが許される。学校当局は、特別指導(anpassad studiegång)を受ける児童生徒が、学校内の他の授業とできるだけ同等のものを受けられるようにする責任を持つ。
上記に示した全ての決定事項は校長と教師にとって、非常に重要な責任であり、そのため慎重に順序立てて見直しをしながら、必要に応じて、さらに改善し、学習に支障がある児童生徒のために、プログラムの見直しや改善案を指摘したりしなければならない。
L君は基礎学校第6学年の終わりの2003年の秋から、学校生活を送る上で問題があった。彼は、長い間停学処分を受け、その間、教育を受けることができなかった。2004年の秋学期から、彼は到達目標を達成することができなかった。学校は毎日のように、L君の両親に連絡したが、援助措置プログラム(åtgärdsprogram)を立案できなかった。なぜならば、彼と両親がその立案に参加しようとしなかったからだ。L君が基礎学校第6学年の2003年の春学期に、学校は、彼が目標を達成できるよう、サポートし続けた。その目標は現在の学年である第8学年まで、変更されなかった。L君の問題は常に発生し、悪化していった。彼が基礎学校第6学年と基礎学校第7学年の時に、L君専用のアシスタントを付けるという学校からのサポートがあった。授業外にも、特別な時間割による指導も受けていた。L君の問題を解決するべく、学校側は、特別な個別指導を彼のために設けたうえ、彼に合ったやり方の対策を練った。しかし、効果があらわれる前に、いつも問題が起こった。L君にとっては、これらの対策は、彼と両親がその対策に参加しようがしまいが、基礎学校第6学年の時には、その対策を実施するべきであった。それは、学校教育局が援助措置プログラム(åtgärdsprogram)を講じたのは、L君に学習障害があったからだけではなく、彼が学校生活においても困難を持っていたからだ。
L君はかっとなりやすい性格で、他の生徒や教師とよく言い争っていた。L君は教師が彼を停学処分にし、学校から追い出し、2004年の12月に行うはずだったダンスの発表をさせてくれなかったことなどを良く思っていなかった。もし、学校が、問題が発生するたびにL君にとって最適なプログラムを立案し、プログラムを新しい目標に合わせて定期的に再点検していれば、状況は悪くならなかっただろう。
2003年の春に、ユースダール・コミューンはL君について調査した。その結果、特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)に入れることが、彼に必要なサポートだと判断した。ユースダール・コミューンは、まずL君の両親と話し合いを持つという前提の下で、そのような決定をする権利を持っている。特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)に入れるという決定は重い措置であって、それによってL君の義務教育を受ける権利を奪うことがあってはならない。それ故に(児童生徒の)権利を保証する観点から、当該の決定に異議申し立てを行うこともできる。特別指導グループに入れるという決定も、基礎学校施行令第5章第5条の規定に基づいてなされていなかった。ユースダール・コミューンは、もし彼らがその決定に同意できない場合は、同施行令の第8章第1条に従って異議申し立てを行うことができるという彼らの権利についても、保護者に通知していなかった。
2004年11月17日から、L君は週2日、1日あたり2時間の指導を受けた。2005年の春学期から、週3日に増えたが、それでも、1日に2時間だった。指導内容は、スウェーデン語、数学、英語、そして、社会だった。L君に合った学習方法を考えると、他の生徒の授業のスケジュールから逸脱するのは仕方がなかった。そのため、これらの逸脱は、L君が早く普通の学校生活に順応できるための状況として、決定され、許可された。生徒は皆、教育を受ける権利があるが、特別指導(anpassad studiegång)は、学校で受ける授業よりも勉強時間が少なくなってしまう。よって、生徒が特別指導を受けるという判断は、慎重に行わなければならない。学校当局(styrelsen)やその代表者は、公式の決定を行わなければならない。しかし、本件の場合、そのような決定の仕方はなかった。
L君は週4時間、時にはそれ以下のこともあった。特別指導は、通常の生徒が受けている教育の量に比べると、かなり少ない。そのため、L君は他の生徒に比べると、十分な教育を受けられなかった。学校教育局によると、学校側はL君に特別指導が必要だという決定を、十分な調査なしで、下した。本来なら、援助措置プログラム(åtgärdsprogram)の文書の中に、特別指導(anpassad studiegång)が必要だという、十分な調査結果とその資料が必要だが、学校はしなかった。その上、その内容は、L君に必要な支援を考慮していなかった。
学校教育局は、学校側がL君にある程度の支援を与えたことは認めた。しかし、L君と彼の両親が、その対策や彼が学校生活を過ごせるかというほとんどの責任を負う形になった。学校側はアシスタントを設定したに過ぎない。対策を練って、何か問題が起きても、学校側はその問題を解決するような新しい対策を作ったりしなかった。学校は、その対策がL君にとって良い効果をもたらしているか、確認しなかった。そして、学校側は、L君の状況がもっと良くなるような、新しい対策を考えたりしなかった。
学校側の問題は、学校教育法の規定を遵守して、生徒の学ぶ権利を重視して対策を練らなかったことにある。学校教育局は、ユースダール・コミューンがL君に対して、上記のような対処をしたこと、並びに、当該の生徒の特別な支援への権利に関して法律に基づく必要な業務を行わなかったとして学校を批判した。
対策の評価のまとめ
要約すると、学校教育局は、ユースダール・コミューンの教育に対して以下の問題点を指摘した。まず、学校側は十分にL君が個別指導を受けられるような体制を取らず、彼の状況が良くなるような新しい対策を作り直したりもせず、そして、対策方法を記す書類業務を行っていなかった。また、対策がL君に良い効果をもたらしているか、確認しなかった。さらに、個別指導や特別指導が、正しい順序通りに行われていなかった。そのため、学校教育局は、ユースダール・コミューンの学校教育は、特別指導など生徒の学ぶ権利の必要条件を満たしていないと批判した。
特別指導が必要な生徒と義務教育を受ける権利
(2005年8月16日、学校教育局の決定事項、文書番号:(dnr)51-2004:2575)
適用される法: | 学校教育法(1985年第1100号)第1章第2条、第3章第1条、第13条及び第16条、第4章第1条 同施行令(1994年1194号)第5章第1条 |
検索キーワード: | 教育を受ける権利、特別支援 |
学校教育局(skolverket)は、Cの母親から通知を受け取った。通知内容は、Cが学校から何年も、義務教育を受ける権利を奪われ、特別指導も提供されなかったという内容だった。
Cの母親によると、Cは2001年の秋にリンシェーピングのアトラス学校に、基礎学校第6学年で転入した。Cは幼い頃から、問題があり、2003年の春に、アスペルガー症候群だと第1回目の診断を受けた。2003年の秋、Cは体調不良のため学校へ行くことができなかった。2003年にCは毎週または隔週の金曜日に家で在宅指導(undervisning i hemmet)を受けた。先生が来て、個別指導を受けたが、毎回ではなかった。Cは部屋から出たがらないこともあった。2003年の秋と2004年の春、勉強の進み具合はあまり芳しくなかった。その時の個別指導はCの障害の具合に合わせて行われない時もあった。
2004年の秋、Cは登校日の初日に学校で1時間の授業を受けたが、1年間も学校へ行っていなかったため、Cは学校に戻りたくなくなった。
Cの両親が、学校教育局に通知を送った当時、校長が、時間のある限りCに1日に1時間の授業をした。アスペルガー症候群の子どもにとっては、規則的に物事をすることは非常に大切であるが、校長は毎回授業をするわけではなく、時間がある時だけだった。そのことに対して、Cの母親は、校長に疑問を感じた。
校長は2003年の秋と2004年の春にコミューンの社会サービス部門に、Cの母親がCを学校に行かせなかったと報告した。Cの母親は、Cに暴力をふるい学校へ行かせなかった。アスペルガー症候群の子どもにとって、何か無理にさせると病気が悪化してしまう可能性がある。Cには、自閉的症状の子どもに合わせた特殊教育の方法が必要だった。
リンシェーピング・コミューンはこの件に関して以下のように意見を表明している。
2002年の秋、Cは基礎学校第7学年の間、28回学校を休んだ。保健室の先生は、Cがアスペルガー症候群だと思ったので、そのことを診断してもらうために、児童青年精神科クリニック(BUP)に送致したが、Cがアスペルガーだという診断は下りなかった。
基礎学校第8学年の時、Cは4週間しか登校しなかった。学校側は、在宅指導(undervisning i hemmet)と特別指導(anpassad studiegång)によって、Cの義務教育を受ける権利を保障しようとした。2003年11月6日に、Cに適した特別指導(anpassad studiegång)のプランが立案され、毎週金曜日に、在宅指導が行われることが決定した。Cは、金曜日から次の金曜日までの間に、学校から出された課題をする。2003年11月19日の会議で、金曜日だけでなく、水曜日も在宅指導を行うことが決定した。しかし、水曜日、教師がC宅に入らせてもらうことができず、また金曜日だけの在宅指導になった。学校側は、Cと彼女の母親、心理検査員及び医師を紹介したが、全て拒否された。Cは学校へ行かない理由を説明することができず、学校が好きと言っていた。2004年1月、Cに体験学習の場所(praktikplats)としてイェルツトルプ乗馬クラブが紹介された。そこでは彼女は自由時間に乗馬ができる。Cの母親は、Cが体験学習(praktik)を受けたがってはいないと言い、提案を拒否した。2004年2月25日に、新しいCのために援助措置プログラム(åtgärdsprogram)が立てられ、新たに特別指導(anpassad studiegång)も作られた。Cは2004年3月8日から、Cに適した特別な時間割で、学校へ登校できることになった。このスケジュールで、Cは自分が受けたい授業を選ぶことができた。しかし、Cは結局、その授業に出席しなかった。
2004年3月19日に、特殊教育研究所(specialpedagogiska institutet)を訪問した際、学校側は、春学期はCが学校に来ることは期待できないと伝えられた。これから、Cを在宅で指導したほうがよいと助言を受けた。これはCの母親から拒否された。春学期の終わりごろに、Cの母親は、Cに軍の基地で体験学習をさせたいと伝えたが、それを拒否され、腹を立てた母親は、他の課外学習をさせる気はないと伝えた。2004年4月16日に新しい援助措置プログラム(åtgärdsprogram)が作られ、金曜日の在宅学習の実行が決定した。
基礎学校第9学年の時、Cは8回学校へ行き、体験学習も順調に進んでいた。Cの義務教育を受ける権利が守られるような対策ができなかったのは、Cが登校していなかったからだった。さらに、Cが拒否したため、学校側はCを心理検査員に診断させ、症状を確かめることができなかった。2004年8月3日に行われた会議で、Cは新学期の初めから、他の生徒と同じスケジュールで学校へ行くことが決定した。2004年8月19日の会議で、Cの母親が、Cにどの先生に担当してもらうか、決めさせてほしいと申し出たが、校長はそれを拒否した。その代りに、Cに適していると思われる特別指導への2つの解決策を提案した。そして、援助措置プログラム(åtgärdsprogram)を立案した。2004年8月20日、Cの母親は学校に連絡を取り、Cが毎日10時30分から12時30分まで授業を受ける選択をしたと伝えた。
Cのためのアシスタントが雇われたが、Cは学校へ来なかったのだ。母親が、Cは午前中寝ているので、スケジュールを変えてほしいと伝え、校長が毎日、16時から17時まで授業を受け持つということになった。だが、Cがその授業に来ることは少なく、第42週から43週の間、ストリズ学校の就労体験学習教室にいた。彼女は10日間で8回ほど、そこで授業を受けた。ストリズ学校での課外学習を延長することはできず、2004年11月1日からCはランボーフ学校の教室で、8時15分から12時まで授業を受けることになったが、Cはやはり出席しなかった。2004年12月14日の生徒指導会議で、Cは2005年の春学期、2つの指導方法から、どちらかを選ばなければならなかった。第1は、通信教育で、第2は、アトラス学校で9時30分から11時30分まで個別に指導を受けることだった。Cには、特別なサポートが必要であったが、Cが学校に来ない限り、学校側は支援することが出来ない。母親はCがアスペルガー症候群だと学校に主張したが、学校側はその診断をしていないので簡単に認められなかった。学校側もCをアスペルガー症候群の子どものためのクラスに行かせることも考えたが、それには、医師の診断が必要だった。
校長は、2004年1月21日と2004年11月19日に、社会サービス部門に対して、社会サービス法に基づいて報告を行った。2004年8月19日には、学校教育法による就学義務についての報告を行った。校長によると、母親はCを学校に行かせることができないか、行かせる気があまりないのではないかということだった。
児童生徒指導会議(elevvårdskonferensen)は当該の期間中に7回開催された。さらに、母親、社会福祉サービス部門の係官、心理検査員と、特殊教育研究所の専門官との間でCの件について会議が行われた。学校と家庭の間でも集中的に連絡を取り合った。
援助措置プログラム(åtgärdsprogram)は8回ほど改善された。さらに追跡的に検証が行われた。
母親はCの件に関して、学校側がCの障害の診断があったにも関わらず、学校はCの機能障害に適した教育をしなかったと、学校教育局(skolverket)に意見を述べている。
Cは軍の基地に大きな興味を示しており、学校で勉強しながら基地で体験学習をしたいと望んでいた。
2005年の春から、「通信教育」、又は、「6歳児学級と基礎学校第1学年の小規模学級での個別指導」のいずれかを受けるという選択しか与えられず、Cの望みは叶えられなかった。そして、Cは彼女の担当予定の先生の情報も与えられなかった。Cにとって必要だったのは、規則正しいスケジュールだった。
そのため2005年2月、Cは家族とオトヴィーダベリに引っ越した。Cは2005年2月7日からアレー学校で適した指導を受けながら、基地で体験学習を行うという特別指導(anpassad studiegång)を受けることになった。
学校教育局(skolverket)の見解
学校教育法第3章第1条に、就学義務とは、義務教育を受ける権利があることであるとの規定がある。学校教育法の第3章第13条によると、コミューンは、基礎学校及び養護学校において、就学義務のある児童生徒が義務教育を修了することを保障しなければならない。学校教育法の第3章第15条によると、義務教育対象の児童生徒の保護者も同様である。
同法第3章第16条によると、基礎学校の児童生徒の保護者が彼らの子どもの就学義務の修了を保証しなかった場合は、保護者が罰金を払う罪になる可能性もある。
学校教育法の第1章第2条によると、学校は特別な支援(särskilt stöd)が必要な生徒には、支援が提供される。学校教育法の第4章第1条によると、特別な支援(särskilt stöd)は、学習に困難のある児童生徒に与えられなければならない。
基礎学校令第5章第1条によると、特別な援助措置(särskilda stödåtgärder)が必要な生徒がいる場合、校長は援助措置プログラム(åtgärdsprogram)を作成しなくてはならない。当該の児童生徒とその保護者はプログラム作成に参加する機会を与えられなければならない。
この規定への準備作業文書(prop.1997/98:94)によれば、援助措置プログラム(åtgärdsprogram)は、学校の職員が、当該の児童生徒に関わる教育活動を計画し立案するための道具あるいは補助具とならなければならない。同プログラムを作成する前に、きちんと調査をし、分析しながら、行われるべきである。さらに、同プログラムは長期的な観点と短期的な観点を備え、当該の児童生徒の長所を伸ばすものでなければならない。
学校教育法によると、就学義務は全ての児童生徒に与えられるものであって、無条件に、基礎学校で教育を受ける権利がある。コミューンには、全ての児童生徒が義務教育に籍を得るようにする義務があり、児童生徒の保護者には、児童生徒が義務教育を修了できるようにする責任がある、という学校教育法の規定における児童生徒の権利を失うような児童生徒があってはならない。
学校教育局(skolverket)は、繰り返し、コミューンには、生徒が義務教育制度から締め出されないように十分に整備しておくことの重要性を強調してきた。何らかの理由で就学義務のある児童生徒が義務教育を修了できない場合は、コミューンは、その生徒が一刻も早く、教育を受けられるようにその原因を調査し、当該の児童生徒が何らかの形態で義務教育に就学できるよう措置をしなければならない。
Cは何年もの間、かなりの部分、学校教育に参加できていない。リンシェーピング・コミューンは児童生徒とその両親と一緒に一連の措置を考えた。措置の一部は両親に拒否され、また、一部は首尾よく運ばなかった。Cが何のサポートが必要かを調べることもできなかった。リンシェーピング・コミューンによると、それは母親が、調査に反対したからである。
児童生徒が教育を受けられない状況に置かれた場合、コミューンが、その原因を調べなければならない。児童生徒が、病気等が理由で学校へ行けない場合は、特別指導(särskild undervisning)を用意しなければならない。教育は、保護者の同意がある場合は、その児童生徒の家で在宅指導を行うことも可能である。その場合、通常の授業と同等の内容を提供しなければならない。児童生徒が、その他の理由で学校へ行けない場合、コミューンは、義務教育であることに鑑み、保護者に当該の児童生徒を学校へ行かせるように努めなければならない。このような努力には、当該の児童生徒を就学させるために必要な、動機付けを高める特別な支援(särskilt stöd)の提供を含めることもできる。最終的な措置として、コミューンは、保護者に、学校教育法の規定に従い、罰金を課することができる。
リンシェーピング・コミューンは、学校教育局(skolverket)への回答において、Cの母親はCを学校へ行かせる力も意思も弱すぎると伝えた。Cを学校へ参加させるための援助措置プログラム(åtgärdsprogram)も示されなかった。学校はCのために数多くの援助措置プログラム(åtgärdsprogram)を作成はしていた。しかし、そのプログラムになぜCが学校に来ないかの分析や調査結果は記されていなかった。ただ、新たな選択肢の提示があっただけであった。その上、Cの問題の全体像や、Cの良いところも述べられていなかった。在宅指導(undervisning i hemmet)は、Cが学校で受けるはずの教育量に比べると、かなり少なかった。学校は3回ほど、社会福祉サービス部門にCの就学義務についての通知を送ったが、就学義務に関する成果はなかった。
アトラス学校はCの義務教育を受ける権利を実行させるために多大な努力を実施したにも関わらず、あまり進展がなかった。学校教育局(skolverket)の見解によると、コミューンには、このような困難な問題をも解決できる準備が常に備わっていなくてはならない。学校教育局(skolverket)によると、コミューンは、教育活動の運用にしても、財源の学校への分配にしても、その如何に関わらず、全ての児童生徒が義務教育を受ける権利を実行されるようにする義務を持っている。Cは基礎学校2年生と3年生の間、ほとんど、義務教育を受けられなかった。これは、学校教育法に違反している。学校教育局(skolverket)の見解では、学校管理者によって十分な対策が取られなかった。リンシェーピング・コミューンは、学校に問題を解決できるよう財源を提供して助けることが出来たはずである。
学校教育局(skolverket)によると、学校は児童生徒がどのような支援が必要であるか、適切な支援を提供するために調査をすることが責任である。保護者が調査に否定的であったとしても、コミューンは責任を免れない。
上記の理由により学校教育局(skolverket)は、就学義務の遂行、及び、Cに必要な支援の提供という点で、法的規定に違反したリンシェーピング・コミューンを批判する。
基礎学校の通信教育や特別指導による、義務教育を受ける権利が守られなかった(2009年12月4日、学校調査の決定事項)。
特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)への配置〜協議
(2006年3月9日、異議申し立て処理委員会決定、文書番号:06:37)
適用される法: | 学校教育法(1994年第1194号):第5章第5条 |
検索キーワード: | 特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp) |
法規定:
学校教育法(1985年第1100号)の第4章第1条第2項による、学習に困難のある児童生徒に特別な支援(särskilt stöd)を与えなければならない。もし、学校の職員、児童生徒、保護者から、又は、その他のルートで、児童生徒に特別な援助措置(särskilda stödåtgärder)が必要であるという情報が入ったら、校長は援助措置プログラム(åtgärdsprogram)を作成しなければならない。児童生徒とその保護者は、そのプログラムの作成に参加できる権利がある(基礎学校令Grundskoleförfattningen(1994年第1194号)第5章第1条)。
特別な支援(särskilt stöd)は、特殊教育による支援を必要とする児童生徒に提供されなければならない。その支援は、まずは、通常の学級又は集団の中で提供されなければならない。特別な理由があれば、その支援は抽出して、特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)において受けることができる。学校当局(styrelsen)は、児童生徒とその保護者との相談を終えた上で、当該の児童生徒を特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)に配置するかどうか決定する(基礎学校令第5章第5条)。同施行令第8章第1条によると、その決定事項は、異議申し立て処理委員会に異議申し立てすることができる。
事案:
A君はUコミューンに住んでいて、S学校に通っている。2006年1月24日、校長は、コミューン内の区の許可を得て、A君を2006年の春休み(påsklovet)まで、特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)へ配置することを決定した。A君は、2006年の決定事項によると、継続的な検証が行われること、並びに、目標は、A君が遅くとも17週後までに、元の学級に戻ることだった。特別指導の決定は、決定の出た当日の、A君が学校で巻き込まれた事件に起因している。
A君の母親であるNさんは、この決定事項に反対していた。その理由は、以下の通りである。決定は母親への相談なしに下された。Nさんは、職場である学校の食堂で、2人の校長から、決定事項のことを口頭で聞かされた。Nさんが決定に対してどう思うかと改めて聞かれたときに、Nさんは構わないと返事をしたが、その時は反対する気力がなかったのだ。その後、Nさんは学校に酷いことをされたと感じた。1年半の間にNさんはA君についての児童生徒指導会議(elevvårdskonferensen)に参加していた。この会議で、A君への基本方針と計画が立案されたが、学校はその方針に沿っては行動していなかった。1月24日の決定の理由となった事件は起こった。A君は先生に説教をされ、体をつかまれていた。A君が暴れて逃げようとするので、他の先生も数人来て、A君の体を床に押さえつけた。先生は食堂で働いているA君の母親、Nさんにも助けを求めた。Nさんも先生と一緒になって、A君の体を押さえつけたが、後でそのことを後悔した。A君は、いつもそわそわし、落ち着きがなく、集中するのが難しかった。その上、A君はとても神経質で、すぐに気分を害されたといって怒り、誰かに体を触れられるのが嫌いだ。A君は学校で何があっても、みんなが自分のせいにすると感じていた。学校での人間関係が大変苦手で、学校で様々な問題が起きた。ある事件では、社会福祉サービス部門と警察に連絡するまでになった。Nさんは、学校が彼女に相談をしないで、勝手に決定したと感じていた。NさんはA君が、特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)に入れられるのは間違っていると思っていた。Nさんによると、その決定は学校がA君を学級から追い出したかったからだと主張し、その決定に反対で、A君が元の学級に出来るだけ早期に戻ることを望んでいる。特別指導の教育の質や量は普通の授業とは同等ではなく、義務教育を受ける権利が守られていない。
A君の父親も、この異議申し立てに全面的に賛成している。
U・コミューンはこの件に関して、この決定は、何度も起こった事件を元に決定したことであると主張した。様々な対策が行われたのにも関わらず、A君に適した対策ができることはなかった。周囲の児童生徒と先生達は、A君の態度の悪さにとても気分を害していた。A君はかっとなりやすい性格で、先生も注意をするのが難しい。さらにA君は集中力がなく、大きなクラスで授業を受けることができない。小さなクラスで授業を受けさせてみたが、それでもA君は落ち着くことができず、クラスになじむことができなかった。そのため、個人での指導が必要であった。その事件後すぐに、校長達は、A君に何が必要か考え、特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)に移すことにした。学校はある教室を借り、そこでA君が良い雰囲気で教育を受けられるようにした。A君の6年生の学級担任の先生が、全てA君の個別指導(anpassad studiegång)を受け持ち、A君が個人的に必要な環境を与え、適した教育を与えるようにした。毎年、A君は学校での態度について、相談があった。S学校はまだ、解決の方法を見つけ出していなかったが、A君が特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)に移るのは、A君が基礎学校上級学年で必要な知識を得るために必要なことであった。
U・コミューンで、2002年から2006年に児童生徒指導会議(elevvårdskonferensen)があり、そこで、決定された援助措置プログラム(åtgärdsprogram)がきちんと議事録に記されている。その内容は、A君は集中するのが苦手で、学習に集中するために、落ち着いた静かな環境が必要である。また彼はとても神経質で、時々暴力的で、人間関係を築くのがとても苦手である。そして、S学校はA君の学校生活を良くするために、様々な対策を行ったとも書かれている。例えば、A君は小さなクラスで授業を受け、そこで、アシスタントの先生の支援も受けた。2005年6月20日の会議のメモによると、校長は、Nさんとその他の人々とM5と命名された特別指導グループ(särskild studiegrupp)に入ることを話し合った。同一のメンバーが参加した2005年6月30日の会議で、2005年の秋にA君が6年B組の普通学級に復帰し通常の時間割で学習することが決定された。
この件に関して、学校教育局(skolverket)は2006年2月17日付けで、特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)への入級の問題が異議申し立て処理委員会において取り扱われることを示した上で、本件の審議によって何らかの措置をするには至らないという決定を下した。
考察:
基礎学校令第5章第5条第3項によると、学校当局は、児童生徒とその保護者と協議の後に、児童生徒を特別指導グループ(särskild undervisningsgrupp)に移すことを決定しなければならない。本事案に関して異議申し立て処理委員会が最初に審査しなければならないことは、規定にある協議が、2006年1月24日の決定の前に、コミューンによって実際に行われたかどうかである。Nさんによると、学校側は、決定される前に、Nさんに相談していなかった。一方で、U・コミューンは、毎年NさんとA君と状況に関して、相談していたと主張した。
異議申し立て処理委員会によれば、協議があって後に、A君を特別指導グループに移す決定が下されなければならなかった。
調査によると、2005年6月の会議で、学校の執行部とNさんは、2005年秋学期にM5という特別指導グループに移ることについて議論はしていたが、その会議で決定したわけではない。むしろ、A君は2005年の秋学期に、普通のクラスに復帰することが決定されていた。調査によると、2006年1月24日の決定の前に、A君は特別指導グループに移ることに関しての相談がなかった。同委員会の調査によると、Nさんに決定の結果を知らせた後に、意見を聞くというのは、規定に違反している。A君をM5という特別指導グループに移す議論の後かなり時間が経過しており、実際に決めた際に、A君とNさんに相談しなかった事は、規定に反していると判断される。
決定する前に、事前に相談してから決定することが絶対条件であり、A君の件が規定の例外になる理由もないため、2006年1月24日の決定は合法ではない。そのため、この決定は取り消されなければならない。本事案は、U・コミューンに差し戻される。
決定の文書のコピーは学校教育局(skolverket)に提出されなければならない。
決定:
決定は取り消しになり、A君の件は再びU・コミューンが取り扱うことになった。
決定の文書のコピーは学校教育局(skolverket)に提出されなければならない。
UFB6(2010)Rättspraxis i skolan 2009/10、Norstedts Juridik,s.293
4. 義務教育としての養護学校及び特殊学校
4.1 受け入れ、配置
養護学校への受け入れ、対象者特定の問題及びコミューンによる調査実施義務
2002年8月8日、学校教育に関する異議申し立て処理委員会
(Skolväsendets- överklagandenämnd, ÖKN)による決定(文書番号:02:416)
適用される法: | 知的障害児の教育に対する親の当事者参加を強化するための試行事業に関する法律(1995年第1249号) |
検索キーワード: | 調査実施義務 |
法規定:
学校教育法(1985年第1100号)第3章第3条第2項に基づき、知的障害のために基礎学校における目標を達成する事が不可能であると判断された児童生徒は、養護学校が受け入れをしなければならない。但し、2005年6月末までは、この規定に代わり、知的障害児の教育に対する親の当事者参加を強化するための試行事業に関する法律(1995年第1249号)という特別法が適用される。同法によると、知的障害が理由で基礎学校が定めている教育目標を達成する事が不可能だと判断された児童生徒は、養護学校が受け入れなければならない。この場合、脳損害、外因性の障害あるいは内因性の疾病により知能において重度及び慢性的な機能障害を負った児童生徒及び自閉症児又は自閉症類似症状の児童生徒は、知的障害児と同等の扱いとなる。
養護学校への受け入れに関する決定は、学校教育に関する異議申し立て処理委員会(Skolväsendets överklagandenämnd, ÖKN)に異議申し立てを行うことができる。決定への異議申し立ての権利を保持するのは児童生徒の保護者のみである(学校教育法第3章第5条第2項)。
基礎学校に登録されている児童生徒は、該当する学校長が賛同し、児童生徒の保護者が承認するならば、養護学校において教育を受ける事ができる(養護学校へ統合されて教育を受ける児童生徒)。基礎学校のカリキュラムは養護学校へ統合されて教育を受ける児童生徒にも適用される。基礎学校の学校長の決定に基づいて、養護学校における教育内容を考慮し、基礎学校の時間割と異なった教育内容を必要に応じて導入することができる(基礎学校令(Grundskoleförfattningen, 1994:1194)第4章第4条第2項及び第3項)。
特殊な教育的配慮を必要とする児童生徒に対しては、特別な支援を行わなければならない。このような支援は、まず児童生徒が所属する学級及び集団において行うべきである。特別な理由がある場合は、このような支援を特別指導のグループ(särskild undervisningsgrupp)に抽出して行う事ができる(基礎学校令第5章第5条第1項及び第2項)。
考察:
エーンショーピング・コミューンに住んでいるM君は、2002年春学期をもって、エーンショーピング・コミューンにあるB学校において基礎学校の5年生を修了した。M君は算数及び英語において、週に5時間の特別指導(specialundervisning)を受けてきた。
エーンショーピング・コミューンは、M君の両親であるL氏及びB氏によるM君の養護学校への転校申請を却下した。却下理由は「当該児童は学校教育法第3章第4条、第6章第7条の規定による養護学校に通学する権利を保持していないため」であった。
本案件において、学校教育に関する異議申し立て処理委員会は、同委員会が請求したM君に関する書類を確認した。書類は、教育学上の意見書が2通、その他に『検査に関連する意見書』1通、いわゆるWISC-III知能検査記録及びそれに付随する検査結果である。もう一つは「医師による診断書」及びTVPS(Test of Visual-Perceptual)(視覚及び知覚能力に関する検査)分析に関する記録である。
学校勤務の心理検査員が作成したと思われる2001年8月8日付の署名のない検査意見書に、特に以下の内容が記されている。M君の検査全体の総合結果及び動作性に関する部分の結果の値はかなり低いものであるが、言語性に関する結果は全体的に正常数値範囲内の下層レベルに入っている。検査の第1部と第2部の違いは重要であり、より“範囲の狭い”指数要素である言語理解及び知覚統合の間にも同様の違いが表れている。注意記憶及び処理速度の指数は、それぞれ通常範囲内の下層及び上層にある。更に心理検査員氏は結論としてこのように述べている:「M君の総合的な結果はかなり低いものであり、当然養護学校が提供できる支援及びリソースを受ける規準を満たしている。検査分析結果にはばらつきがあり、おそらくは継続的支援を必要とするような、特異な逸脱がある。検査の補足資料として、学校生活の状況に関する説明を付加するべきである。」
これらの検査の総合的結果であり、上記の専門的な見解の規準となった2001年3月7日付のWISC-III知能検査の記録に対し、「心理検査員」のU氏は断片的にしか記入していない。但し、記録及び検査結果からは以下の事項が明白である。M君は言語性の検査において、37評価点(skalpoäng)を取得し、その点数はIQ83に相当する。動作性の検査では21評価点を取得した。これはIQ56に相当する。注意記憶検査では、M君が14評価点(IQ82に相当する)を取得し、処理速度検査では24評価点であった(IQ112に相当する)。全体的な評価の結果は58評価点で、これはIQ67に相当する。
本件において、教育学上の意見書は2通ある。1通目は1999年10月1日付けで、B学校の特別教育教師(speciallärare)S氏が作成した意見書である。その意見書によると、M君は1999年9月に、いわゆるITPA言語学習能力診断検査を受けている。この検査は13の項目別検査から成り立っており、児童生徒の言語機能の状態を幅広く示す事ができる。更に以下の意見を述べている。「M君は音声による表現力に関して最も高い数値を示している。9段階のステナイン尺度(steneinskalan)において、6ポイントを取得している。つまり、彼にとっては視覚による印象より、聴覚による印象の方が受け入れやすいのである。聴覚的な受容力及び全体的な聴覚検査に関しては5ポイントを取得している。それ以外の数値は平均あるいは平均以下となっている。但し、彼の持つ値が本当に低いわけではなく、本人が持っている能力を伸ばすために、より多くの時間が必要であるように思われる。」
他にS氏による2001年12月16日付けの教育学上の意見書には、M君がいくつかの新たな検査を受けたことが明記されている。
教育学上の調査はM君がそれなりに読む事はできるが、読解力はよくないことを示しているとS氏は述べる。H4検査結果により、同学年と比較し読書の速度は平均よりやや速い事がわかる:(109)。DLS検査結果:読解力はステナイン尺度(steneinskalan)の9段階において1となっている。言葉の理解力検査の結果は1である。連続した単語及び連続的な文字に関する検査結果の値もかなり低い(ステナイン尺度3及び4)。
更に、学校医のG氏は、2002年1月31日付けの診断書にて「医学的には発達遅滞の原因は見当たらない」と述べている。
L氏及びB氏は、2002年6月12日付けの申立書によってエーンショーピング・コミューンの決定に対し異議申し立てを行った。更に申立書には以下の事項が記されていた:
全検査結果により、明らかに25人の児童生徒がいるクラスにM君が入るのは不可能である。彼にとって最良の環境とは、児童生徒数が少なく、教師の数が多いクラスである。『養護学校が無理であるならば、私達の息子Mのためには、それと類似の学校形態が必要である』と述べている。
2002年6月17日付けの意見書にエーンショーピング・コミューンは、以前の決定を再審理する理由はないと記している。また以下の事項をも述べている:
却下の土台となっているのは、2001年3月7日、心理検査員のU氏によって行われた心理学的検査の結果である。「M君は学習障害において重度の問題を抱えてはいるが、知的障害児として見なす事はできない。(中略)WISC知能検査の結果より、M君には読み書き困難(ディスレクシア)があり学校教育においては本人に合わせた支援が必要である事が判った。」
エーンショーピング・コミューンの特別教育コンサルタント、R氏が作成した2002年8月7日付けの文書「異議申立理由の補足」には、以下の事項が記載されている:
エーンショーピング・コミューンは「養護学校の県からコミューンへの管轄移管」(kommunaliseringen av särskolan)の実施以降、各学校に定められたガイドラインが守られるように心がけてきた。ほとんどの場合、それが実行されている。「今回の案件のように」そうでない場合に関しては、R氏自身が学校を訪問した上で児童生徒の状況判断を行う。
続いてこのように述べている:
「我々の判断によるとM君は知的障害児ではないが、入学以降不安定な学校生活を送り、学習が困難な男子である。(中略)我々は、M君の支援の必要性を満たすべく学校側が更なる努力をするべきであると考えている。(中略)更に我々は、秋学期よりM君の案件に関して追跡調査を行うつもりであり、必要であれば補足的な調査も行う。」
考察:調査及び手続き
養護学校による受け入れに関する決定は、個々の児童生徒に対し長期にわたって多大な影響を及ぼす。そのため、このような決定を下す前に、正しい手続きを踏んだ上で充分な決定材料を揃える事が最も重要である。児童生徒の権利である支援を受けて基礎学校における目標を達成することが可能なのか、児童生徒が知的障害又は学校教育法の規定によって知的障害と同等の症状があるのか、判断をするべきである。また、目標達成が不可能であるならば、その原因は知的障害あるいはそれと同等の機能障害又はそれに相当する症状なのか、それとも他に原因があるのか等の判断もするべきである(上記の法規定を参照)。立法者は複数の調査において、児童生徒を養護学校に配置する前に、必要な知識を持つ職員によって、(政府案1991 -92年第94号、23頁及び、「児童生徒に対する支援及び保護に関する法律」SOU:Lag om stöd och skydd för barn och unga 1991年第30号113頁を参照)充分な調査を行うべきである、と主張している。
したがって、必要な決定を下すためには、充分な決定材料を得られるような調査を実施することが重要である。
そのため、学校教育に関する異議申し立て処理委員会は以下に、このような案件に関する調査には通常どのような内容を含むべきか、より詳細に取り上げる。
「学校教育法の養護学校に関する規定の草案」(政府案1985年/86第10号、43頁)では、知的障害の定義は「知的障害の程度及び環境によって障害を発生させる知的機能の低減である」としている。知的能力の評価を行う際は、心理的、社会的及び教育学的な要素を考慮するべきである。
学校教育局(skolverket)は「義務教育である養護学校の受け入れに関する調査及び決定の手順」という文書(学校教育局規定(SKLOFS)2001年第23号)に、評価方法及び評価と決定の規準となる調査に関する意見(一般的指針)を記載している。学校教育局は、養護学校による受け入れ決定を行うには、児童生徒の全体評価を行うことが前提であると述べている。全体評価を行う際は「児童生徒にとって何が最良か」(子どもの権利条約)を考え、短期的及び長期的な視点から評価をするべきである。また、通常は、過去に取得した児童生徒の情報、家庭内及び6歳児学級・基礎学校で行われた児童生徒の観察記録、それまでに試してきた援助措置(stödåtgärder)38の評価表、又は、全体評価の前提となる調査を土台にして評価を行うべきである。保護者の経験及び児童生徒に対する考え方も必ず調査の過程に取り入れるべきである(13頁)。更に、児童生徒自身にも可能な限り、学校生活及び自分自身が感じる必要性、又は、要望を述べる機会を与えるべきである。したがって、全体評価は、児童生徒自身の生活経験に関連して実施された全ての調査の内容を踏まえて行うべきである(14頁)。
決定の基準にするには、どのような調査を含むべきだろうか。教育学的な調査は、ある程度の観察期間を土台に、児童生徒が基礎学校に定められた教育目標を達成する条件を備えているかどうか、答えを出すものである。
心理的調査の目的は、児童生徒の認知的能力の把握である。過去から現時点までの児童生徒の発達記録、知的検査及びその他の確立されている評価方法による児童生徒の認知能力の評価、また、評価基準の分析による心理検査員の結論を調査書に含めなければならない。医学的な調査の目的は、児童生徒の健康状態及び考え得る児童生徒の困難の医学的な原因をできる限り明確にし、それらの困難がどのように児童生徒の継続的な発達に影響するのかを文章化することである。更に、学校教育局は、評価基準を社会的調査によって補足することを勧めている。この社会的調査を行うことにより、児童生徒にとってこの教育が利用する価値があるのかに関連し、児童生徒の家庭状況又は学校以外の生活状況を調査することによって、他の調査からは得られないような重要な情報を得ることができる(14〜15頁)。
各案件において、養護学校の入学に関する手続きは行政法(FL:1986年第223号)に基づいて行うべきである。同法には文書化、通信及び決定の形式等に関する規定がある。コミューンが口頭等、文書以外の方法で得た情報で、案件の結果に関し重要となる可能性のあるものは早急に文書化しなければならない(第15条)。保護者は案件に追加された情報を継続的に確認する権利がある。例えば、各調査及び当該案件に関する他の文書化された情報等である。更に案件に関する決定が下る前に、保護者は寄せられた情報全てに関する意見を述べる権利を持つ(第17条)。
児童生徒を養護学校に受け入れるか受け入れないかに関する決定事項は、一般的な法的基準に則って文書化しなければならない。また、決定事項には当該の児童生徒及び適用した法を明記しなければならない。また、行政執行である事を踏まえ、決定事項には最終的な決定の根拠となった理由を明記しなければならない。「決定が各関係者の意思に反していない、あるいは、何らかの理由により、それを述べる必要はないことが明白である。」場合はこれらの理由を決定事項から除外する事ができる。更に、各個人の生活環境を守るためであるならば、これらの理由の内容を完全又は部分的に除外する事もできる(第20条)。
したがって、養護学校による児童生徒の受け入れに関する決定の規準となりうる全ての情報は、文書化し、関連書類に添付しなければならない。これらの情報には、保護者による情報及びその他の情報が含まれる。文書化することにより、コミューンが行った調査、評価、支援対策及び後の継続支援の内容を確認することが可能となる。案件に対する異議申し立てがあり、学校教育に関する異議申し立て処理委員会に引き渡された場合は、全ての資料、つまり、案件においてコミューンの決定の基準となった全資料を即時に学校教育に関する異議申し立て処理委員会に引き渡さなければならない。学校教育に関する異議申し立て処理委員会は案件の審理を行う際、コミューンが用いたものと同じ判断材料を参照しなければならない。
M君に関する学校教育に関する異議申し立て処理委員会の評価:
学校教育に関する異議申し立て処理委員会が確認した資料及び両親の話からも明らかになったように、M君は学習において問題を抱えており、学校教育において「特殊教育的な援助措置」(specialpedagogiska stödåtgärder)を必要としている。
とはいえ、本件に関して学校教育に関する異議申し立て処理委員会は、基礎学校における教育目標を達成するM君の可能性について判断をしなければならない。また、達成する可能性がないと判断された場合は、その原因が知的機能の低減にあるのか、他に原因があるのかを判断しなければならない。
1999年10月1日付けの教育学上の意見書には、結論としてM君は「ストレスのない安心できる環境において、自分のリズムを掴む機会が得られるならば、多くの分野において進歩を見せる可能性がある。」と記されている。2001年12月16日付けの別の意見書には、M君は「基礎学校の普通の学習速度よりも遅い学習速度を必要としている。」と結論が記されている。
学校教育に関する異議申し立て処理委員会の評価によると、教育学上の意見書及びその他の同委員会が確認した資料だけでは、M君が基礎学校における教育目標を達成する可能性を判断することは不可能である。
案件の資料には、記入が不完全な2001年3月7日付けのWISC-III知能検査記録が検査結果と共に添付されていた。署名のない同年の8月8日付けの検査員による意見書には、M君の「結果の値はかなり低いものであり、養護学校が提供できる支援及びリソースを受ける規準を十分満たしている。」と記されている。しかし、2002年6月1日付けのコミューンの意見書には、却下の根拠は上記の調査内容である、と記されている。更に意見書には「M君は学習において重度の問題を抱えてはいるが、知的障害児として見なすことはできない。」と記されている。同意見書にコミューンは、M君にはディスレクシアがあると明記している。ほとんどの場合、一度の検査のみで児童生徒の発達状態に関する見解を示す事は不可能である。本件のように、コミューン側と児童生徒の検査を担当した側の評価に相違があった場合は、コミューンの見解が完全に正しい事を証明するように要求するか、それが出来ないならば、同じ検査結果が出るかを確認するために追加の知的検査を行うように要求するべきである。
学校教育に関する異議申し立て処理委員会はこのように主張している。M君には診断の基準となった様々な資料が指摘するような困難があるのかを明確にしなければならない。したがって、単に『M君は養護学校が提供できる支援及びリソースを受ける規準を満たしている。』と総合的に明記するのみでは不十分である。この指摘の根拠を明記しなければならない。
本件には、各検査の定性分析及び結論や指針を含む総括的な見解が不足している。故に、学校教育に関する異議申し立て処理委員会に提出された資料のみで、M君の知的機能の低減の有無に関する判断を下すことは不可能である。
R氏は2002年8月2日付けの『補足資料』において、M君に関して決定を下す基準となり得る十分な資料が不足していたため、M君の学校における生活状況の判断を行う目的で学校を訪問し、M君及び教師との面談を行ったと述べている。しかし、コミューンの決定の判断材料となった、この面談の際の、会話の覚書のようなものは文書として残っていない。本件は、M君の発達と成長の記録や就学前保育の記録が欠如しており、M君のこれまでの学校生活及び試行された援助措置に関する評価もない。
2002年4月29日付けのエーンショーピング・コミューンの決定事項には「当該児童生徒は学校教育法第3章第4条、第6章第7条の規定に基づいて養護学校に通学する権利を保持していない。」と記されている。資料を見た限りでは、この決定を下した際に根拠となった文書は提出されていない。保護者が望むにも拘らず、児童生徒の養護学校入学を拒否する決定を下す場合、その決定の理由を説明しなければならない(行政法第20条を参照)。このような理由の説明文には通常、当該案件に関連する実際の状況を記載し、これらの状況が法的あるいは他の規準によってどのように評価されたのかを明記しなければならない。更に決定の土台となった規定及びその他の評価基準も明記する必要がある。例えば、児童生徒が教育目標を達成する可能性の総合評価が実施された場合は、その際に考慮した要素を明記しなければならない。また、目標達成が不可能だと判断された場合は、その原因を明記しなければならない。各要素をどのように検討したかを記載し、また曖昧な案件の場合は何が決め手となったのかをも明記しなければならない。2002年6月17日、本件に関し、コミューンが初めて決定理由を説明した。コミューンは基礎学校の生徒であるM君に関して決定を下す際に、学校教育法第3章第4条以外に、高等養護学校の受け入れに関する同法の第6章第7条を参照していた。
結論として学校教育に関する異議申し立て処理委員会は次のように判断した。提出された資料のみでM君が養護学校の対象者かどうかに関する決定を下すことは不可能である。従って本件に関する最終決定を下す前に、追跡調査を行うべきであり、その調査はエーンショーピング・コミューンが実施することが適切である。故に本件は再審のため、コミューンに差し戻すべきである。
決定:
学校教育に関する異議申し立て処理委員会は異議申し立てされた決定の取り消しを行い、再審のため、案件をコミューンに差し戻すこととする。
養護学校による受け入れ:対象者問題及び保護者の見解の重要性について
(2001年6月26日、学校教育に関する異議申し立て処理委員会による決定、文書番号:01:445)
適用される法: | 知的障害児の教育に対する親の当事者参加を強化するための試行事業に関する法律(1995年第1249号) |
検索キーワード: | 保護者 |
法規定:
養護学校への入学対象者はどのような児童生徒であるべきかに関しては、2005年6月末までは、学校教育法(1985年、第1100号)第3章第3条第2項の代わりに、知的障害児の教育に対する影響力を強化するための試行事業に関する法律(1995年第1249号)中の規定が適用される。同法によると、知的障害が理由で基礎学校が定める教育目標を達成する事が不可能だと判断された児童生徒は、養護学校が受け入れなければならない。この場合、脳損害、外因性の障害あるいは内因性の疾病により知能において重度及び慢性的な機能障害を負った児童生徒及び自閉症児又は自閉症類似症状の児童生徒は、知的障害児と同等の扱いとなる。
養護学校への入学に関する決定は、学校教育に関する異議申し立て処理委員会に異議申し立てする事ができる。決定の異議申立権を保持するのは児童生徒の保護者のみである(学校教育法第3章第5条)。
案件:
イエテボリ・コミューンは異議申し立てを受けた決定において、I氏によるJ君の養護学校への転校申請を却下した。コミューンは却下理由として、確認のできた調査から判断し、J君を知的障害児として見なす事はできないためと述べている。更に、コミューンは次のように述べる。以前に心理検査員が作成した意見書の補足として、調査担当の心理検査員が新たな診断を行った結果、知的障害があるとは認められなかった。それよりもJ君が抱えている問題の性質を踏まえて、基礎学校が彼の発達に関し、支援を行うべきである。
本件に関する心理検査員の意見書は3通ある。1通目は1997年11月5日付けで、心理検査員B氏が作成している。同意見書中で、J君は重度の読み書き困難があると指摘されている。更に、例えば暗算等、記憶力と関連する問題を解く事も困難である。J君は様々な困難を負っている上に、多大な不安を抱える少年である。学習において成長できるように気力を維持するためには、学校及び家庭の両方において多くの支援、手助け及び励ましを必要としている。
2通目の意見書は、2000年10月31日付けで、心理検査員K氏によって作成された。その中には以下が記されている。総括として言えるのは、J君のレベルは検査が行われたほぼ全ての知能的分野において、同年代の平均よりも相当下回っているということである。最も困難が見られる分野は、抽象的な思考、短期記憶、注意記憶、処理速度及び計算力である。学習困難は、彼の年齢に合わせて行なわれている教育を理解するための知能的条件をJ君が満たしていないがために生じていると評価が下された。
K氏は結論として、J君が養護学校のカリキュラムに沿った教育を受けられるようにするべきであると、指針を示した。
2001年2月23日付けの3通目の意見書の最終項において(これもK氏によって作成されたものである)J君が新しい検査を受けた事が明記されている。K氏は『現在、正にJ君の年齢層における検査結果の解釈には、特に入念な注意が必要であることが心理学的常識からも指摘される。』と述べる。それ故『J君の検査結果は必ずしも養護学校の規定の枠組み内に収まるとは限らない。』とK氏は指摘する。更に、結論として、2000年10月31日の意見書で述べた指針は無効となったと言えるとK氏は記している。『評価基準において不確かな要素が増えた事により、J君にとって養護学校入学が最良の方法であると断言する事が難しくなった。記憶困難及び抽象的な推理に関する困難を持っていることは明白であるが、養護学校の教育方法だけがJ君にとって最も良い教育方法であるとは言いきれない。』
学校教師のA氏によって作成された2001年2月8日付けの教育評価及び日付のないもう1通の教育評価には、要約するとJ君が学校に対して否定的な気持ちがあると記載されていた。J君には積極性がなく、授業においても自分の学習結果に対しても満足する事はほとんどない。J君には継続的な補助的支援が必要であり、物事を細かく説明する支援者が必要である。例えば、数学及び長い文章を読まなければならない教科において、文章から得た情報を吸収する事が困難であり、忍耐力もない。
本件には、2000年10月20日付けのR医師による診断書が添付されている。その中には「学校の保健管理センターの調査及び心理学的検査によると、J君の知的障害は養護学校への入学が勧められるレベルである。医学的には養護学校への転校に対する妨げはない。」
I氏及びA氏は、イエテボリ・コミューンの決定に対し異議申し立てを行った。J君は酸素不足及び吸引分娩の状況下で生まれた子供である。幼少時より、「J君は普通の子とは違う」という事は判っていたと両親は述べる。学習上の問題は、基礎学校1年の時に既に始まっていた。基礎学校4年の時には困難が明白に現れ、基礎学校7年生の現在、図工以外の教科においてこの困難は重症化している。情報の吸収力及び指示に従う能力は相当限定的である。両親はK氏の最後の調査を「非難」し、基礎学校卒業のために要求される成績を取得できる知的レベルに達する事はJ君には不可能であると述べる。イエテボリ・コミューンはその後、以前の決定を再審する必要はないと判断を下し、以下のように述べている。コミューンは、心理検査員が「長期にわたって5回もの機会を利用し」結論を出したことを確認している。また、最終的な結論を出す前に各検査結果の比較を慎重に行った。資料には、J君に読み書きの困難があること及び処理速度が遅いことが明記されている。それらの事実は単独でも複合的にも、学習結果及び検査結果に大きな影響を与えている。コミューンは、J君が知的障害児である事を断言はできないと考えている。
考察:
学校教育法の養護学校に関する規定の草案(政府案1985年/86第10号、43頁)では、知的障害の定義は『知的障害の程度及び環境によって障害を発生させる知的機能の低減』である。知的能力の評価を行う際は、心理的、社会的及び教育学的な要素を考慮するべきである。知的障害児等に対する教育形態の選択に関する委員会の動議(1995 /96年:UbU第1号、6頁)(UbU=Utbildningsutskottet:教育委員会の動議)では、児童生徒を特殊な形態の学校に入学させる際には、児童生徒の目線に立って決定を下すべきであると強調されている。児童生徒の成長及び教育において主要な責任を負っており、児童生徒の状況を最もよく知っているのは両親である。したがって、児童生徒の目線に立って判断ができる条件を備えているのは両親のはずである。それと同時に学校長が、自分自身が児童生徒のために最適だと判断した学校形態に児童生徒が通うことを望むのは当然である。
したがって、教育の形態に関する決定は、児童生徒の両親及び学校管理者(skolhuvudman)が共同で下す事が妥当であると同委員会は述べている。
調査結果によって表面化した通り、 J君は入学当初から学習上の問題を抱えており、学校において特殊教育的な援助措置を必要としている。調査は総合的に見て、J君が基礎学校の目標に達成する事は不可能であること、また、知的機能の低減があることを示している。学校教育に関する異議申し立て処理委員会の意見では、両親の見解及びその他の表面化した情報を考慮し、今後J君は基礎学校よりも養護学校に転校した方が良いと思われる。上記の状況より、養護学校はJ君を児童生徒として受け入れるべきである。したがって、異議申し立てを承認する。
決定:
学校教育に関する異議申し立て処理委員会は異議申し立てを受けた決定の取り消しを行い、J君が養護学校に転校できるように指示する。
養護学校の受け入れ−非定型自閉症(Atypisk autism)
(2007年3月15日、学校教育に関する異議申し立て処理委員会による決定、文書番号:07:41)
適用される法: | 知的障害児の教育に対する親の当事者参加を強化するための試行事業に関する法律(1995年第1249号) |
検索キーワード: | 自閉症 |
法規定:
学校教育法(1985年第1100号)第3章第3条に基づき、知的障害が理由で基礎学校における目標を達成する事が不可能であると判断された児童生徒は、養護学校が受け入れなければならない。但し、2008年6月末までは、この規定に代わり、知的障害児の教育に対する親の当事者参加を強化するための試行事業に関する法律(1995年第1249号)という特別法が適用される。同法によると、知的障害が理由で基礎学校が定めている教育目標を達成する事が不可能だと判断された児童生徒は、養護学校が受け入れなければならない。この場合、脳損害、外因性の障害あるいは内因性の疾病により知能において重度及び慢性的な機能障害を負った児童生徒及び、自閉症児又は自閉症類似症状の児童生徒は、知的障害児と同等の扱いとなる(学校教育法第1章第16条を参照)。
案件:
VさんはM・コミューンに住む、B学校の6年生である。M・コミューンは2006年12月5日、Vさんの養護学校入学申請を却下した。却下理由は以下である:
心理的、教育学的及び医学的な評価のどれも、学習困難の原因が知的障害と立証することはできなかった。だが、明らかにVさんには、大人による充分な支援のある、教育体制の整った小人数グループにおける教育が必要である。但し、このような教育体制は、基礎学校に籍を置いたままでも、実現する事ができるはずである。
Vさんの母親であるR氏は決定に対し異議の申し立てをした。内容は以下の通りである:Vは第1学年時より人数の少ない学校の少人数のクラスに通っていて、アシスタント教員から特別な支援(extra stöd)を受け、教科によっては個別特別指導(enskild undervisining)を受けてきた。Vは物を探すのが苦手であり、時間的な感覚がなく、周囲の雰囲気を読み取るのも苦手なため、いじめの対象になりやすい。彼女には発達に問題があり、クラスに入っていても、学習目標に到達することはできない。これらの全要素は、Vが基礎学校において教育を受ける事は困難であると示している。
M・コミューンは意見書において以下のように述べる:
Vさんは学校教育において支援を受けてきたが、それが示すのは彼女に一種の学習困難がある事のみである。母親が異議申し立て文書に述べるその他の様々な困難は、1999年に診断を受けた非定型自閉症に起因するものである。心理学的検査から得られた認知力レベルは、その診断に起因する困難を表している。コミューンはカールベック委員会(2001年政府により設立された知的障害児の教育を見直すための委員会)の動議に則って決定を下した。つまり、知的障害又は知的機能の低減がない児童生徒は、養護学校には受け入れないということである。Vさんは非定型自閉症と診断されている。そのため、普通の児童生徒とは思考法、周囲からの情報に対する感じ方、その吸収方法等が異なっている。それ故に、これらの困難に対する支援が必要ではあるが、知的レベルに対する支援は必要ではない。つまり、Vさんにとって最も適切なのは、基礎学校において自閉症、又は自閉症類似症状の児童生徒のために用意された少人数の特別グループで学ぶことである。
2006年9月15日、M・コミューン内大学病院付属児童青年精神科クリニック及びT・コミューンのS地区の病院に所属する心理検査員G氏が行った心理的検査の結果、以下のことが指摘された:Vさんは13歳の女子ではあるが、行動は実年齢よりも幼い。WISC-[III]知能検査の結果より、Vさんは養護学校の対象者のボーダーラインにいる事が判った(IQ69)。既往歴で見ると、恐竜及びワニなどのような限られた分野に関する特殊知識が見られる。Vさんはこれらの種類のラテン語名称を記憶している。検査結果は、集中力及び注意記憶力に関する困難は特に示していない。だが、様々な分野の間で連想したり、発想の転換をしたりする傾向があり、一つの話題から横道に逸れずに集中する事が苦手である。学校との面談では、Vさんには明らかに自発的実行力が欠けており、落ち込み気味で不安定である事が指摘された。神経心理学的検査の結果は、他人との協調力(*mentaliseringsförmåga39)及び具体的な概念に対する理解力の欠如を示している。
既往歴を見ても、周囲と協調し合うメカニズムを自然に理解する、順番を待つ、人と譲り合う、他人の意向を読み取る等ができるようになるための支援が行われてきている。母親によるとVさんの感情表現は率直的であり、周囲からの影響を受けやすい、純真な児童である。また、明白な衝動性症状がある。全体的な評価では、自閉症あるいはアスペルガー症候群の診断基準を満たしているとは言えないが*ICD-10(国際疾病分類の最新版)によるF84.9の非定型自閉症(PDD-NOS・特定不能の広汎性知的障害)の診断基準は満たしている40。
養護学校への申請に当たって作成された2006年/2007年の学年度における教育的評価文書並びに2006年11月6日付けの文書(両方とも学校長Mが作成した)には以下のように記されている:Vさんは2000年からB学校に通っている。その間、1学年留年している。学習状況はかなり特殊であった。全てにおいて時間がかかった上に、説明をしてもVさんには理解する事は不可能であった。Vさんの視点に立って説明を行うことは、当校の教育者には出来ないと感じた。説明はつかない方法でVさんは多くの学習課題を、自分自身で解くことが出来た。特に算数の課題の場合であるが。最も難関な教科は英語であった。一つの言語を別の言語に翻訳する事が可能であるという事をVさんに理解させることは難しかった。読み書きが出来るようになるまでは時間がかかったが、今日のVさんは大変上手に読む事が出来るようになっている。書く事はいまだに困難である。最も優れている教科は造形である。入学以降、成績目標に達する事が出来たのは造形のみであった。Vさんには時間的感覚がない。授業時間に間に合うように行かなければならない等を理解する事はVさんには不可能である。また、学校の建物内でも道に迷ってしまう(建物は小さい)。職員は常にVさんが何時、どこにいるべきか手助けをしている。同年代の児童生徒との社会的交流も困難である。Vさんにいつか成績を与えられるような状況になるのか、予測は全くつかない。Vさんの学校生活は許容し難いものである。これから待っている大人としての人生に向けて準備ができる学校にVさんを入学させなければならない。基礎学校を終えた後、通常の高等学校に通う事は選択肢にない。
学校教育に関する異議申し立て処理委員会は、M・コミューン内大学病院付属児童青年精神科クリニック及びT・コミューンのS地区の病院に勤務するE氏によって作成された、2006年9月5日付けの医学的評価も確認した。
考察:
養護学校の受け入れに関する案件においては、児童生徒の権利である支援(stöd)を受けて、児童生徒が基礎学校における目標を達成することが可能なのか、児童生徒には知的障害又は学校教育法に則ってそれと同等の扱いとなる症状があるのか、判断しなければならない。また目標達成が不可能であるならば、その原因が知的障害あるいはそれと同等の機能障害又はそれに相当する症状なのか、それとも他に原因があるのか等の判断もするべきである。
本件の調査では、Vさんが非定型自閉症の基準を満たしている事が判明した。それ故、現行の規定に則り、養護学校の入学の権利において、知的障害児と同等の扱いをうけるべきである(2004年3月18日の学校教育に関する異議申し立て処理委員会決定<文書番号04:35>参照)。
教育学的調査によると、Vさんは学習において多大な問題を抱えており、支援対策(stödinsatser)が導入されていても、美術以外の教科において教育目標に達する事が不可能なことは明白である。
以上の状況を根拠とし、Vさんは養護学校において教育を受ける権利を保持する。
決定:
学校教育に関する異議申し立て処理委員会は異議申し立てを受けた決定の取り消しを行い、Vさんが養護学校に転校できるように指示する。
養護学校に転校する権利を保持する児童生徒は直ちに受け入れなければならない。
(1999年12月2日、学校教育に関する異議申し立て処理委員会による決定、文書番号:A 155)
適用される法: | 学校教育法(1985年第1100号)第3章第3条 |
検索キーワード: | 基礎養護学校、受け入れ |
法規定:
知的障害が理由で基礎学校における目標を達成する事が不可能であると判断された児童生徒は、養護学校が受け入れなければならない(学校教育法第3章第3条第2項)。養護学校に入学する権利を保持する児童生徒が住民登録をしているコミューンは、その児童生徒のためにこの教育形態を用意する義務がある(同法第6章第5条第1項)。
案件:
1999年10月29日、ウプサラ・コミューンは、同・コミューンに住民登録をしている1984年生まれのA君に対して「養護学校への入学の権利を保持している」という決定を下した。決定文によるとA君は『少し遅れて2000年の秋学期より』養護学校に転校させる事になっていた。A君の保護者は決定に対する異議申し立てを行い、Aはできるだけ早く、遅くとも2000年の春学期には養護学校へ転校させるべきであると主張した。
考察:
コミューンの決定によるとA君は養護学校へ転校する権利を保持する。学校教育法に定められている規定によると、コミューンは直ちに養護学校への受け入れを準備し、児童生徒の権利である教育を受けさせなければならない。したがって、決定事項に記されている養護学校への転校時期を2000年秋学期に設定した事は学校教育法に違反しているため、取り消さなければならない。
決定:
A君が養護学校における教育を受ける事が、2000年の秋学期までは拒否されるのであるならば、学校教育に関する異議申し立て処理委員会は異議申し立てを受けた決定の取り消しを行う事とする。
養護学校への受け入れ・調査義務
(1997年9月18日、学校教育に関する異議申し立て処理委員会による決定、文書番号:A 174)
適用される法: | 特殊学校令(1995年第401号)第1章第3条から第5条及び第7条) |
検索キーワード: | 調査義務 |
法規定:
視覚障害、ろう、聴覚障害あるいは発話障害という理由で、基礎学校及び養護学校に通う事のできない児童生徒は、特殊学校が受け入れなければならない(学校教育法第3章第3条)。特殊学校は、「地域別に児童生徒を受け入れる学校(地域別特殊学校regionskolor)」及び「全国から児童生徒を受け入れる学校(全国区の特殊学校riksskolor)」に区分されている。地域別特殊学校は、ろう、聴覚障害の児童生徒であって全国区の特殊学校が提供するような特別な支援の教育を必要としない児童生徒を対象としている。ルンド・コミューンにあるエステルヴォーング学校はスコーネ県を管轄している地域別特殊学校の一つである。
シーグトゥーナ・コミューンにあるヘルスブー学校は、行動障害、あるいは、視覚障害及び知的障害以外の特別な理由で地域別特殊学校に通う事が出来ないろう及び聴覚障害のある児童生徒のための中央校である(特殊学校令第1章、第3〜第5条及び第7条)。
案件:
現在、マルメ・コミューンで基礎学校に通っている聴覚障害のあるE君をエステルヴォーング学校の児童生徒として迎えるようにと、E君の保護者が申請した。
異議申し立ての対象となった決定において、エステルヴォーング学校の理事会は、申請を却下している。この決定において、以下のように指摘している。「E君が特殊学校の対象者であるかについて判断をするのはまだ早すぎる。つまり、彼の聴覚障害が原因で、基礎学校における教育が不可能かどうかに関する判断である。基礎学校に通学しながら特別な支援を受ける事は、特殊学校に通学して特別な支援を受ける事と比較して、E君にとって少なくとも同程度に適切であるといえるかという疑問が残る。E君が特殊学校の対象者である事が判明したとしても、地域別の特殊学校と全国区の特殊学校のどちらの対象者となっているのか、という問題が残る。E君の状況及び必要性を明確にするための追跡調査が待たれる間、ルンド・コミューンのろう及び聴覚障害児のための特殊学校、エステルヴォーング学校への両親の入学申請を却下する。」
異議申し立てに対する意見書では、学校の理事会が次のように述べている。「E君に関する調査及び評価を確認した結果、E君は特殊学校の対象者に含まれるかどうかは定かではない。更に、E君が特殊学校の対象者である事が判明したとしても、彼の必要性を最も満たすことができるのが、地域別特殊学校と全国区の特殊学校のどちらであるのかも定かではない。」
考察:
上記の規定に基づき、E君は聴覚障害が理由で基礎学校に通う事が不可能であり、全国区の特殊学校の提供する特別支援の教育を必要としていないのならば、エステルヴォーング学校がE君を児童生徒として受け入れなければならない。エステルヴォーング学校の理事会はE君を受け入れない決定の理由として、E君が規定されている受け入れ基準を満たしているかに関する調査が不十分である事を挙げている。しかしながら、各行政機関は、各案件の内容から見て必要に足る調査が行なわれたかどうかを確認する義務がある。本件に関する主な調査義務は、まずエステルヴォーング学校の理事会が負わねばならない。それ故、継続的な調査のため、本件はそちらに差し戻さなければならない。
決定:
学校教育に関する異議申し立て処理委員会は異議申し立てを受けた決定の取り消しを行い、継続的な調査のためエステルヴォーング学校の理事会に案件を差し戻す事とする。
特殊学校の受け入れ−対象者に関する問題及び児童生徒を転出させる決定への異議申し立ての可能性について
(2000年9月28日、学校教育に関する異議申し立て処理委員会による決定、文書番号:A 124)
適用される法: | − |
検査キーワード: | 対象者 |
法規定:
特殊学校に受け入れられた児童生徒が、基礎学校又は養護学校に転出する事が可能であると判断された場合、特殊学校の責任者は児童生徒に対する転出の決定を下さなければならない(学校教育法第3章第4条第3項)。
2000年7月1日より、特殊学校で教育を受ける権利を保持する児童生徒に関する規定が変更された。それ以前は、発話障害などの理由で基礎学校あるいは養護学校に通う事ができない児童生徒は特殊学校が受け入れるという、学校教育法第3章第3条第3項による規定が有効であった。2002年7月1日以前に特殊学校に入学が承認された発話障害のある児童生徒に関しては、終了時までそのまま教育を継続しなければならないと規定されている。このような教育に関しては、変更前の規定を適用しなければならない(スウェーデン国家法規集(SFS)(1999年第886号)の執行及び移行規定の第3点)。
学校教育法第3章第5条に基づき、特殊学校における受け入れの決定は、学校教育に関する異議申し立て処理委員会に異議申し立てする事ができる。
案件:
ハーニンゲ・コミューンに住民登録をしているMさんは、発話障害があるため、1998年秋学期よりブラッケベリにあるヘルブー学校のサテライト教室に通学している。2000年の春学期、彼女は基礎学校の第6学年の課程を終了した。2000年6月13日には、ヘルブー学校理事会はMさんをハーニンゲ・コミューンに委ねる決定を下した。ヘルブー学校の学校長による意見書には以下のように記されている:ハーニンゲ・コミューンに委ねる理由として、1998年の入学承認時ハーニンゲ・コミューンはMさんが必要としている教育形態を提供する事ができなかったが、現在のハーニンゲ・コミューンにはそれが可能なためである。ハーニンゲ・コミューンのR学校は特別支援を必要としている児童生徒のために、少人数グループを設置しており、様々な分野における専門知識を有する教師陣が揃っている。
更に学校長は次のように述べている:ヘルブー学校はMさんにとって、教育的な面からみても、社会的な面からみても、最適な学校ではない。ヘルブー学校の支援センターは今後も、Mさんにおける学校教育状況を追跡し、両親及び職員に対する支援を継続する。
Mさんの保護者であるMa氏及びT氏は、学校理事会の決定に対して異議申し立てし、Mさんは今後もヘルブー学校で教育を受けるべきであると主張している。保護者は、ヘルブー学校の学校長が述べる必要な専門知識を提供する事は、ハーニンゲ・コミューンには未だに無理であると指摘している。異議申し立て側は、ヘルブー学校勤務の心理検査員E氏による調査を根拠にしている。
2000年1月5日付けの調査報告書には、以下が記されている:
1997年9月、ヘルブー学校の特別教育支援センター(HRC)によって、Mさんに関する調査が行われた。当時、地元のヴェステルハーニンゲ・コミューンのR学校において、大人数のクラスに所属していたMさんは、1998年の春学期よりブラッケベリにあるヘルブー学校のサテライト教室に参加することになった。HRCによる調査書は、Mさんの困難は『語彙解釈及び語彙の運用に関する能力が不十分なことによる言語障害』(språkstörning av semantisk/lexikal-pragmatisk tiyp)であると説明していた。
これは簡単に説明すると、『語彙解釈能力の欠如と、適切な単語を結集する能力の欠如により、それらが重なって言語伝達の困難につながる』という障害である。E氏によると、Mさんは学校において学習上大きな進歩を見せた。ただし、未だに言語に関しても、それ以外の部分においても困難が見られる。E氏はまず、ヘルスブー学校がMさんに対して行なった教育をシーグトゥーナ・コミューンの基礎学校の上級学年において引き継ぐ事を提案した。
異議申し立て側は、2000年5月29日付けの、Mさんの2名の担任教師、特別教育教師及び言語訓練士のB氏並びにK氏の意見書を引用した。主な内容は以下である:発話能力を含め、Mさんが人間として最も成長するため、受け入れ学区による大きな人的支援及び教育的支援が必要となる。ヘルブー学校側では学校長が、今年の2月8日付けの児童生徒保健会議の議事録及び今年2月24日に実施されたハーニンゲ・コミューンとの協力会議のメモを引用している。これらの文書には次のように記されている:ヘルブー学校に在学した2年間において、Mさんはかなりの成長をみせた。Mさんは未だに受容性言語障害を抱えているが、これは理解と能力のある教師の支援があればどこの学校に所属しても対処できる問題である。
その後、学校教育に関する異議申し立て処理委員会は、Mさんが基礎学校における学習に対応できると考える根拠をさらに具体的に明記した意見書を提出するようにヘルブー学校に要求した。ヘルブー学校は2000年8月29日付けの今回の意見書に、以前の意見書を引用した。また、2000年7月1日よりヘルブー学校の特別教育支援センターの職務内容が変更された事で、コミューンがヘルブー学校の特別教育支援センターと共同で、コミューン内における重度の言語障害児の発話及び言語に対応する専門教育機関を確立する責任を課せられたこと、ヘルブー学校の特別教育支援センターが必要に応じて児童生徒を受け入れることができるようになったこと、Mさんが残りの義務教育期間、特別教育支援センターで教育を受ける必要があることを示す新たな要素はないことを付記した。また、ヘルブー学校は、学校勤務の心理検査員E氏による新たな意見書を引用した。E氏は2000年の春学期の間に、Mさんの所属する学校に関する自分の意見が変わったと述べている。その理由は、Mさんの籍を置く学校が特別支援教師のいる少人数グループの教育環境を提供できるようになり、また、関係している教育者がヘルブー学校における研修及び指導を受ける事ができるようになったためである。籍を置く学校において、少人数グループで学習するという選択肢は、Mさんにとって最適であると思われる。
その後、学校教育に関する異議申し立て処理委員会は、R学校の学校長に、籍を置く学校においてMさんが受けられる教育に関する説明を求めた。2000年9月13日付けの意見書にて学校長は、新学期開始より合同クラスに入るようにMさんに提案したが、Mさんはそのクラスの児童生徒が自分より年下のため、入りたくないと主張したと述べている。そのため、9月5日、Mさんは1984年〜1987年生まれの児童生徒がいる他の合同クラスに入る事になった。Mさんの母親であるMaさんは本件に関して提出された資料及びヘルブー学校の主張を確認した上で、Mさんが基礎学校での学習を修了するために必要としている能力はハーニンゲ・コミューンにはない、また、その支援体制も整っていないと主張している。
2000年9月28日のE氏との電話においてE氏は、自分が作成した最後の意見書はMさんが必要とする、R学校が提供する約束の特別教育的支援を本当にMさんが受けられる前提で書いたと説明している。
考察:
学校教育に関する異議申し立て処理委員会が取り扱ってきた様々な案件からも判明したように、特別な学校形態への受け入れ決定に対する異議申し立てができるという規定は、児童生徒が在学中の学校形態からの転出決定についても、学校教育に関する異議申し立て処理委員会に異議申し立てできると解釈されるべきである。Mさんは1998年から特殊学校に在学している。したがって、既に説明した移行規定に基づき、Mさんには学校教育法の第3章第3条第3項の旧来の規定を適用するべきである。Mさんに発話障害がある事は間違いない。調査書には、この発話障害が現在、継続して特殊学校で学習する権利は持てないようなレベルであるとは記されていない。
決定:
学校教育に関する異議申し立て処理委員会は異議申し立てを受けた決定の取り消しを行い、ヘルブー学校によるMさんの受け入れを指示する。
基礎学校には納得のいく教育を期待する事ができないという理由で特殊学校に入学
障害のある女子が、障害を抱えながら基礎学校で学習を受ける可能性に関する審理において、学校教育に関する異議申し立て処理委員会は、基礎学校における特別支援の提供義務に関する責任は住民登録のあるコミューンが持つという見解を前提にはしなかった。その代わりに、住民登録のあるコミューンの基礎学校には納得できる教育を期待する事が出来ない、という事が判断の決め手となった(1996年11月14日、学校教育に関する異議申し立て処理委員会による決定、文書番号:A 137)。
適用される法: | 学校教育法(1985年第1100号)第3章第3条、特殊学校令(1995年第401号)第1章第7条 |
検索キーワード: | 特殊学校への入学 |
1.法規定
シグトゥーナ・コミューンにあるヘルブー学校は、発話障害のある児童生徒のための特殊学校である(特殊学校令、1995年第401号、第1章第7条)。
基礎学校、養護学校及び特殊学校の対象者に関する規定は学校教育法(1985年第1100号)の第3章第3条にある。
適用される法は以下である:
通常ならば児童生徒は、通常の基礎学校の入学対象者となる。
知的障害が理由で、基礎学校における教育目標を達成する事が不可能であると判断された児童生徒は、養護学校が受け入れなければならない。
視覚障害、ろう、聴覚障害あるいは発話障害が理由で、基礎学校及び養護学校に通う事ができない児童生徒は、特殊学校が受け入れなければならない
学校教育法第1章第16条で定める知的障害児に関する規定は、自閉症児又は自閉症類似症状の児童生徒にも適用される。
アスペルガー症候群は自閉症類似症状である。アスペルガー症候群の特徴は、対人関係の困難、発話及び言語障害、また、口頭以外のコミュニケーションにおける困難、そして、運動機能の困難である(1994年、スウェーデン自閉症連盟より出版されたエーレシュ&ギルベリのアスペルガー症候群・概説、28頁を参照)。つまり、特徴の一つは発話障害である。
2.案件
背景
1981年生まれのCさんはストックホルム・コミューンに住んでいる。彼女には成長期において集中力、知覚、発話、言語理解力及び運動機能に関する困難があった。学校教育における最初の3年間は養護学校に通っていた。4年生から6年生までは、ソルナ・コミューン、ロースンダ学校内の身体障害児クラスに在籍していた。1995年、秋学期より、ストックホルム・コミューンの基礎学校の一つであるメーラルヘイデン基礎学校1年生の小規模クラスに在籍し、現在もその学校に通っている。
Cさんの保護者である母親のE氏は、1994年6月6日付けのヘルブー学校宛ての文書にて、Cさんを受け入れるように同校に求めた。ヘルブー学校理事会は1995年6月10日の決定において、Cさんは知能的に養護学校の水準であり、ヘルブー学校の対象者と見なす事はできないと主張した。Cさんの母親は、学校教育に関する異議申し立て処理委員会において決定に対する異議申し立てを行った。1995年8月14日、同委員会の決定通知によって、異議申し立てを受けた決定の取り消しが行われ、案件をヘルブー学校の理事会に差し戻すよう指示した。同委員会は決定において、本件に関する調査は不十分であると述べている(1995年8月14日、学校教育に関する異議申し立て処理委員会による決定 文書番号:A 119)。
その後、Cさんの母親は再度ヘルブー学校宛てに1996年3月25日付けの文書を提出し、Cさんを児童生徒として受け入れるよう要求した。1996年5月2日の決定事項において、理事会は『以前下した決定の変更理由になるような新たな情報はない』と述べている。Cさんの母親はこの決定に対しても学校教育に関する異議申し立て処理委員会に異議申し立てを行った。
本件に関する調査
本件に関し、以下の資料が提出されている:1996年3月5日付け、ウプサラのフォルケベルナドッテの家(FBH)の医長A氏による意見書、同氏による1996年10月28日付けの補足の意見書、1996年9月5日付け、国立特別教育研究所(SIH)による意見書、1996年8月19日付け、メーラルヘイデン学校の学校長L氏よりの意見書及び1996年11月7日付けの口頭による補足。
上記の各資料以外に口頭による情報は1996年9月30日、ストックホルム・コミューンにおける養護学校教育長S氏及び1996年10月1日、ストックホルムの学校の心理検査員N氏より得た。更に、Cさんの母親は学校教育に関する異議申し立て処理委員会に宛てた複数の文書に幾つか情報を記載している。Cさんの母親には1996年11月8日の学校教育に関する異議申し立て処理委員会の会議において、意見を述べる機会が与えられた。
様々な意見書等の内容の詳細:
1996年3月5日、A氏は意見書でアスペルガー症候群、運動能力発達遅滞、発話-言語能力発達遅滞に関する診断を下している。文中でA氏は総括として以下のように述べている。Cさんには明らかな発話-言語能力発達遅滞及びわずかな運動能力障害がある。幼少期より彼女には社会的な対人関係においても問題を持っていた。フォルケベルナドッテの家(FBH)における様々な検査により、アスペルガー症候群と一致する診断結果が示された。ただし、Cさんには発話-言語及び運動能力に関しては、明白な違いがあった。A氏は意見書の中で、Cさんは現在の小規模クラスにそのまま通い、個人的なアシスタントが彼女に付くべきだと述べている。それに加えて彼女は特に、咽喉運動能力の訓練のために特別教育的配慮を必要としていた。
1996年10月28日、A氏は補足意見書中で以下のように述べている。『検査によりCさんはアスペルガー症候群の診断を受けた。彼女にはそれに加えて発話-言語能力の発達において、また、運動能力の発達において彼女特有の欠損が見られた。アスペルガー症候群の診断は、自閉症又は自閉症類似症状の範囲に入る。アスペルガー症候群の診断を受けた人々も、知能に関しては知的障害とのグレーゾーンから通常の知能及び高知能まで、かなり多様に分かれる。全診断結果の共通項は、児童生徒達が障害に特化した教育上の配慮とかなりの個人的支援を必要としていることである。アスペルガー症候群と診断された児童生徒は各個人による違いや、学校教育上の様々な個々の能力に基づき、ある者は一般の基礎学校に行き、また、ある者は養護学校に行く。近年、アスペルガー症候群のような軽度の自閉症の形態に関する最新の研究が発表されている。なぜならば、今日アスペルガー症候群に関しては、以前のように『自閉症は必ず知的障害を伴っている』とは言えないためである。
Cさんは基礎学校中級学年で学習において目覚しい進歩を見せ、私の見解ではその順調な発達から、認知的、神経精神病学的評価において彼女は知的障害者ではないと見ている。』
A氏はさらに、評価中で彼女の教育上の必要性は一般の基礎学校の枠組みの中において満たされるはずであると述べている。
国立特別教育研究所(SIH)は意見書において、近年アスペルガー症候群と診断された児童生徒が学校教育課程を通常の基礎学校で受けることが一般的になってきたと述べている。
1996年8月19日付けの、L氏の意見書によると、自閉症の特質と重度の発話能力障害を持つCさんは、学校が彼女を前にして、なかなか方針を決定することができなかった児童生徒であった。
しかしながら、フォルケベルナドッテの家(FBH)の検査が決定打となり、試験的に彼女に必要と思われるリソースが与えられた。Cさんは特別な体操訓練、数学の特別授業及び(総合して)3時間の発話訓練の授業を受けることになった。それに加えて、学校にはクラスに入ってCさんの発話を手助けする失業対策プログラムによる若年雇用者(ALU-Anställd)がいた。これは一般的な支援の一つである。
校長によればCさんの周囲で働いていた人々は情熱を持って仕事に取り組み、多大な努力をしたという。しかし、学校はそれでもなお大変に特殊な必要性を持つCさんを適切に指導できたとは思っておらず、また、彼女に様々な挑戦やCさんが必要とする訓練を与えられたとも考えていなかった。
1996年11月7日に新たに助言を求められたS氏は、Cさんがこの秋学期に特別な体操訓練を受けているが、発話訓練は特に受けていないと述べた。S氏とN氏は、基礎学校が必要な特別教育的な取組を行う中でのコミューンの可能性に関し、コミューンの基礎学校には発話教育があまりにも少ないと述べた。それに対し、多くの児童生徒が言語的な障害を抱えている養護学校はこの分野に関してはより良い設備が整っているのである。Cさんの側に対する本質的に有利な教育学的支援は、基礎学校の枠組みの中ではトミー・ステルンによれば、ほとんど無きに等しいのである。Cさんの母親は、Cさんが知的障害児だという解釈についてフォルケベルナドッテの家(FBH)の検査が間違いだと示しており、Cさんがメーラルヘイデンス基礎学校で受けた教育は彼女の前提や必要性に即していないと述べた。また、クラスは散らかっていて、Cさんは十分な発話教育指導を受けていないとも。『基礎学校教育』の半分は、彼女の母親によればCさんにとっての『失われた学校教育期間』として、無駄に過ぎ去ろうとしているのである。
3.考察
Cさんはアスペルガー症候群の診断を受けた。この診断を受けた人々は、前述のように個人個人によって大きな違いを示す。Cさんの症例においては調査によって、彼女にはアスペルガー症候群には一般的な発話障害があることが確認された。検査により、彼女が満足できる学校教育期間を過ごせるかどうかの決め手となる、彼女の発話障害に適した教育を受ける可能性が示された。
その年の秋学期が終了すると、Cさんは以前の学校教育法で基礎学校上級学年と呼ばれていた期間中、3学期間をストックホルムの基礎学校で過ごしたことになる。この時期にそこまで彼女に提示されていたこの学校教育期間は、調査の間に得られた結果によれば適切なものではなかった。この時期の教育がCさんの特に発話障害に基づく必要性に対し、十分な範囲で適したものではなかったことは明白である。例えば、彼女がほんのわずかな範囲でしか、発話教育における手助けを受けていなかったこと等である。
学校教育に関する異議申し立て処理委員会はA氏がその意見書の中で説明した解釈に賛同している。すなわち、Cさんは彼女の障害が必要としている支援を基礎学校において受けるべきある。国立特別教育研究所(SIH)はその意見書において、近年アスペルガー症候群の児童生徒が通常の基礎学校に通学することは一般的になってきていると述べている。ストックホルム・コミューンは学校教育に関する異議申し立て処理委員会の意見に従って、コミューン内の基礎学校に通わせながら彼女の特殊な必要性を満たせるように様々な可能性を模索するべきである。コミューンが一年と半年間いかに彼女の学校教育に関する問題を解決してきたかに鑑み、ストックホルム・コミューン内の教育機関の代理人が彼女の将来の状況を改善するコミューンの可能性に関して述べている事柄を考慮してもなお、学校教育に関する異議申し立て処理委員会はCさんが基礎学校における残りの一年と半年間、ストックホルムの基礎学校において満足できる学校教育期間を過ごすことを期待できないと述べるに足る、憂慮するべき理由がある。
この評価を考慮し、もし彼女がその他−彼女の障害を鑑みてということだが−ある種の教育の条件を満たすならば、Cさんは学校教育法に則り、他の学校形態による教育を受ける権利を持つ。この見解は、「常に子どもを第一に優先するべきである」という、国連のいわゆる子どもの権利条約の方針に即している。ここで述べている学校形態とは養護学校又は特殊学校である。したがって、学校教育に関する異議申し立て処理委員会は、現況においてCさんにとって養護学校と特殊学校は選択するべき学校形態であるかについて審理するべきである。
アスペルガー症候群は、学校形態の選択の際は学校教育法に則って知的障害と同等の扱いになる、自閉症類似の症状である。Cさんが通常の基礎学校へ通うにあたって決定的な障壁となるのは、即ち彼女の発話障害を考慮して十分な支援を与えるだけの能力をコミューンが欠いていることなのである。
この発話障害−調査を行った結果、明らかにアスペルガー症候群に関連するものではなく−Cさんが養護学校へ通うことになる理由にはならない。それ故、養護学校への入学は問題外とするべきである。
発話障害のためにCさんがストックホルム・コミューン内の基礎学校において満足のいく教育期間を過ごすことが期待できず、また、養護学校へ入学することもないならば、特殊学校に入学する権利を持つことになる。
先ほど言及した規定に従い、Cさんのような発話障害があるが故に他の形態の学校に通うことができない児童生徒を受け入れる、ヘルスブー学校を選択するべきである。即ち、異議申し立ては承認されるべきである。
4.決定
学校教育に関する異議申し立て処理委員会は当該の異議申し立てを受けた決定を破棄し、Cさんがヘルスブー学校の生徒として受け入れられるように準備を行う。この決定事項のコピーは公教育制度の監督を行なっている学校教育局に提出しなければならない。
注意:
発話障害は特殊学校の対象グループにはもう入らないが、学校教育に関する異議申し立て処理委員会の本質的な論議は他の障害者グループにとっても興味深いものであった。
特殊学校への入学決定−期限を設けてはならない。
(1998年7月16日、学校教育に関する異議申し立て処理委員会の決定、文書番号:A 196)
適用される法: | 学校教育法(1985年第1100号)第3章第4条 |
検索キーワード: | − |
法規定:
視覚障害、ろう、聴覚障害又は発話障害により基礎学校又は養護学校へ通うことができない児童生徒は、特殊学校が受け入れなければならない(学校教育法第3章第3条第3項)。特殊学校に入学していた児童生徒が、通常の基礎学校又は養護学校へ転校できると審理を受けた場合、特殊学校の学校長は、当該児童生徒がもはやこの学校の児童生徒ではないということを決定しなければならない(学校教育法第3章第4条第3項)。
案件:
ヘルスブー学校(特殊学校)の理事会は1998年4月17日M君を受け入れない決定を下した。
M君の保護者は決定に対して異議申し立てを行い、M君を受け入れるように要求した。この異議申し立てによりヘルスブー学校の理事会は1998年6月10日、決定を翻し1998/99年の学年度M君を受け入れた。
考察:
修正決定によりヘルスブー学校の理事会は、期間を限定してではあるがM君を受けいれた。これらの事情を鑑み、当該の異議申し立てには修正決定に含まれる期間の限定は適切であると思われる。
上記に示した学校教育法内の規定により、結果として特殊学校による一児童生徒の受け入れ決定は再審理に掛けられ、この児童生徒は他の学校に転校できることが決まった。しかしながら、これらの規定は、期間限定の受け入れの決定を支援しているわけではない。したがって、異議申し立てを受けた決定は、期間限定宣告のないものへと修正するべきである。
決定:
学校教育に関する異議申し立て処理委員会は異議申し立てを受けた決定を、決定案で宣告された期間の限定はない形でMがヘルスブー学校に入学できると修正した。
養護学校への受け入れ及び支援を受ける権利
(2005年2月2日、学校教育局の決定、文書番号:51-2003:3603)
適用された法: | 学校教育法(1985年第1100号)第1章第2条、5条、16条。第3章第2条。第4章10条。第6章第1条。 知的障害児の教育に対する親の当事者参加を強化するための試行事業に関する法律(1995年第1249号) 養護学校令(1995年第206号)第5章第1条。 |
検索キーワード: | 受け入れ−養護学校 |
学校教育局に提出されたある申請書には、児童生徒J君の母親による訴えが記載されていた。それは彼女の息子が不明確な理由によりホーブー・コミューンの養護学校の児童生徒として登録されることになった。また、読み書きの習得に関する彼の問題に関して学校は調査を行なわなかったというものであった。この申請書には、彼が学校生活のほぼ全期間にわたり、本人のかなり重度のディスレクシアに対する支援を受けていなかったことも記載されていた。
この申請書は以下のように述べている:この一家は1998年にホーブー・コミューンへ引っ越してきたが、J君には以前の学校生活において大きな問題を抱えていたため、申立人は引越しに間に合うようにコミューンに連絡を取った。J君は当時10歳だったが、読むことも書くことも出来なかった。J君が養護学校の対象グループに入るかどうかの調査が実施されたのか、申立人には判らないまま、彼は養護学校に入学することになった。申立人は当時、専門家は正しい判断をするという前提で考えていたが、その入学決定には疑問を抱いた。
ある心理学的意見書には、JにはADHDの疑いがあると記されていた。
1999年2月養護学校に通い始めて以来、J君の学習は常に困難であった。困難の原因を突き止めるための努力は行われてこなかったと申立人は感じている。
2002年春、申請者はJの困難に関する新たな調査を要求した。彼女はJが読むことも書くこともできず、また、なんの支援も受けていないことを鑑みて彼の将来が不安になったのである。
調査の結果によると、J君はADHDではなく、相当重度のディスレクシアがあるという事が判明した。それと同時に申請者は1998年にヤルフェッラ・コミューンで受けた前の調査においても、Jにはディスレクシアがあると確認されていたことを知った。また、この調査報告書はJが在学している間中、ホーブーの養護学校の校長の元にあったことが判った。もっと早い段階で学校が適切に対応し、正しい支援策を導入していたら、Jの状況は全く違っていたと申請者は主張する。
ホーブー・コミューンの主張は以下である:1998年、ヤルフェッラ・コミューン・ディスレクシア支援センターにおける特殊教育専門教師によって行われた調査は、養護学校学校長によるディスレクシア調査と同等であるとは承認されなかった。J君の養護学校入学に関する決定は、1999年2月18日に学校長が学校勤務の心理検査員と共に下した。養護学校入学に至った理由は、彼が激昂しやすい性格であると判断され、当時のクラスに残るのが不可能だったためである。学校側は、WISC知能検査の結果をも受け入れの根拠にしていた。学校側は、1999年の春にホーブー学校に転校して以来、J君は常に3人から7人の小規模クラスにおいて特別教育者とアシスタントによる教育を受けてきたと述べている。
1999年秋から2003年の春まで、J君には個人的なアシスタントが付いていた。その間、J君の担任は相談のため、児童生徒青年専門精神課(BUP)と頻繁に連絡を取っている。J君はその後「ドルフィン」という養護学級に移され、少人数グループに在籍することになった。学習指導はアシスタントによって行われた。このアシスタントは主に支援アシスタントの専門教育は受けていたが、特別教育専門教諭の課程は取っていなかった。J君の学校生活の間中、指導担当教諭と特別教育専門教師がアドバイザーとしてこのアシスタントを支援していた。更に、学校にはその他の専門家集団によるサポートもあった。2000年11月に視覚障害者専門ソーシャルワーカーによる検査を受けた結果、J君には視覚障害があることが判明した。アシスタントはディスレクシア調査の実施を求めるためリハビリ機関に連絡したが、対応して貰えなかった。アシスタントは調査の必要性を繰り返し保護者に説明したが、学校側によると保護者からはなんの返答もなかった。
2002年春学期、養護学校職員はJ君のスウェーデン語科目の支援を行うにあたり、教材に関する話し合い及び質問をするため、コミューン外のディスレクシアセンターと連絡を取った。アシスタント及びその他の学校職員は、J君のディスレクシアの調査を要求するように再び保護者に勧めた。コミューンの相談及び支援課が両親による申請を優先していたためである。
2003年秋学期に実施された心理学的検査の結果は、言語聴覚療法の必要性を示していた。学校側は上記以外にも、J君のため幾つかの措置を取ったと主張している。それらの結果は様々であったが、養護学校によるとそれはJ君の複雑な社会的な状況に起因する。2003年12月、保護者はコミューンにディスレクシア調査の申請を行った。
(特別教育専門機関の)相談・支援部門の企画運営部長及び管理部長は対策準備のため、学校長及び保護者との面談を行った。2004年春学期、学校は言語聴覚療法士による検査を開始した。加えてJ君のために幾つかの特殊教育支援が導入された。
2000年にはJ君の精神医療的支援を開始するため、何人かの心理検査員と連絡が取られた。2001年‐2002年の学年度においてJ君のために数種類の支援教材が手配された。2002年秋学期にはJ君の行動パターンに関して話し合うため、相談&支援部門及びコミューンの社会行政部内の行政機関グループと新たに連絡を取った。
2004年1月、J君のための対策プログラムが導入された。このプログラムには主にJ君の問題行動を解決するための対策が含まれていた。継続措置として、春学期の間に全般的なインタビューが数回行われた。この春の間にJ君は幾つかの就労研修を受けてみて、最終的に自分に合う研修場所を見つける事ができた。春学期間に行われた対策に関する記録はない。
ホーブー・コミューンの学校教育に関する異議申し立て処理委員会は、当時の(殊教育専門機関の)相談・支援部門にはJ君の必要性を満たすだけの充分な組織力はなかったと認めている。2004年8月より、組織の再構成が行われた事によって、現在は学校長でも相談&支援部門によるディスレクシア調査を要求できるようになった。
両親の意見に対して養護学校学校長は、当校がJ君に対する支援の必要性を理解し、その性質を明確にし、対策を導入するための努力を怠ったことは一度もないと、主張している。また学校長は、J君には教育上の目標を達成するために必要な支援が与えられているとも述べている。
J君には9年間の義務教育に加えて更に1年間、研修生のような学習及び実習を合わせた教育形態が提供された。学校側によると、これは以前母親が望んでいた形態にほぼ合致する。
コミューンの意見書に関連して申立人は、次のように意見を述べた:
学校の職員はJ君には薬物問題があると噂をしているため、J君の登校を嫌がっている。
申立人は2003-2004年の学年度末にJ君に薬物検査を受けさせ、陰性の結果を学校に提出した。申立人は、J君は学校には戻らないだろうとも伝えている。申立人によると、学校長及び管理部長に連絡を取ったが、どちらとも連絡が取れなかった。
申立人の意見によると、J君はそれまで個人的なアシスタントの支援を受けた事はなく、1人のアシスタントが数名の支援を行っていた。更に、申立人は、職員が調査の必要性を主張したにも拘らず、J君のディスレクシア調査に反対した覚えはないと主張している。また、申立人自身はJ君と一緒にリハビリ機関を訪問した事があるが、紹介状がなかったため、児童生徒青年精神課(BUP)への訪問ができなかった。申立人は心理検査員の支援を断った事は一度もない。更に申立人はアシスタント及び他の職員によって、繰り返し相談・支援部門に連絡するように勧められた覚えもないと言う。反対に申立人は4年間も相談・支援部門と連絡を取っている。また、既に2000年の秋に、相談・支援部門に申請書を提出している。申立人は一度その部門の心理検査員にあった事もあるが、その時にも、J君のディスレクシア問題は取り上げられなかった。また、J君の社会的状況に関する説明も間違っていると申立人は述べる。
J君には公共の場及び家庭内のどちらにおいても社会性がある。唯一抱えている問題は読み書きの学習に関する困難だけである。J君が初めて養護教諭による補助を受けたのは2004年の春学期で、週に2時間程度であった。申立人の見解が提出された際、J君は学校で事実上は教育を受けていなかったと言える。
学校教育局の見解
養護学校による受け入れ
学校教育法第1章第5条に基づき、知的障害があるという理由で基礎学校に通うことが出来ない児童生徒のために養護学校が存在している。
学校教育法第1章第16条に基づき、脳損害、外因性の障害あるいは内因性の疾病により知能において重度及び慢性的な機能障害を負った児童生徒及び、自閉症児又は自閉症類似症状の児童生徒は、知的障害児と同等の扱いとなる。
学校教育法第3章は、義務教育の修了に関して規定している。同章の第2条によると、児童生徒の義務教育は養護学校にて修了することが可能である。第3条に基づき、知的障害があるため基礎学校において教育目標を達成することが不可能であると判断された児童生徒は、養護学校が受け入れなければならない。第4条に基づき、義務教育期間中の児童生徒の養護学校による受け入れに関する審理は養護学校の理事会が行う。このような養護学校の受け入れに関する決定は、学校教育に関する異議申し立て処理委員会に異議申し立てすることができる。
知的障害児の教育に対する親の当事者参加を強化するための試行事業に関する法律(1995年第1249号)には、児童生徒を養護学校に入学させるためには保護者の同意が必要であると規定されている。その同意を得ることが出来ないならば、児童生徒は学校教育法に定められている通常の児童生徒の学校教育に関する規定に基づいて教育義務を修了しなければならない。
更に保護者は、児童生徒をいつでも基礎学校に戻すことができる権利に関し説明を受けなければならない。学校教育法の第3章第3条、第2項で定める規定に代わり、以上の法で定める規定が有効である。
学校教育局は「義務教育である養護学校による受け入れに関する調査及び決定の手順」(学校教育局規定(SKLOFS)2001年第23号)で、養護学校による児童生徒の受け入れに関する条件を提示する一般的指針を発表した。
本調査に、J君は1999年2月18日、激昂しやすい性格であるという理由で、養護学校に受け入れられたと明記されている。受け入れに関して文書化された唯一の根拠として、学校側はWISC知的検査結果を引用した。J君にはディスレクシアがあると明記されたという1998年ヤルフェッラ・コミューンによって行われた調査は引用されなかった。検査結果を裏付けるための追加調査の実施に関する報告はなく、又は、それに矛盾している情報を明確にするための追跡調査の実施に関する報告もなかった。申立人は、養護学校に受け入れた理由は、J君は心理的検査においてADHDと診断されたためであると理解している。学校教育局に対する回答の中では、学校側はその理由を引用していない。
激昂しやすい性格であることも、あるいはADHDであることもどちらも養護学校に児童生徒を入学させるための理由としては充分ではない。養護学校による受け入れ決定の基準は、主に教育的及び心理的調査を土台にした全体的評価であるべきである。
必要に応じ、受け入れに関する決定を下す前に学校側は、医学的及び社会的調査をも実施しなければならない。それに加え、調査によって、児童生徒が適切な支援を受けることで基礎学校における教育目標を達成できるかどうか、判断しなければならない。本件においてJ君の受け入れに当たり、ホーブー・コミューンは規定によって定める全体評価の基準となるような調査資料は提出していない。
学校側の文書からは、知的障害児の教育に対する親の当事者参加を強化するための試行事業に関する法律(1995年第1249号)で定める条件を、学校が満たしているかは確認できない。更に、J君の保護者が異議申立権についても記された養護学校の受け入れ決定の通知を受け、異議申し立てする機会を得たかどうかも明記されてない。
学校教育局は、以前行ったホーブー・コミューンの養護学校に対する監査において、養護学校による受け入れ手順には大きな欠陥があると指摘していた。養護学校における受け入れが不十分な理由に基づいて行なわれたことも多く、また、間違った理由で行われたこともあった。
児童生徒の知的障害の有無に関する診断は、児童生徒及び両親にとって、大変重要な問題である。児童生徒の将来に影響する問題であるため、充分な専門知識のある職員が正当な方法で調査を行うことが重要である。調査により、基礎学校令で定める支援を受けることによって児童生徒が基礎学校の教育目標を達成できるかどうか、また、児童生徒が養護学校の対象となる基準を満たしているかに関して判断を下し、見解を示さなければならない。
学校教育局は、養護学校によるJ君の受け入れ状況を鑑みて、ホーブー・コミューンが規定を遵守していないことを指摘し、当コミューンを批判している。
援助措置プログラム(åtgärdsprogram)
養護学校令第5章第1条に基づき、学校の職員、児童生徒自身、保護者の情報あるいは他の方法により児童生徒に特別な援助措置(särskilda stödåtgärder)が必要である事が判明した場合、学校長は援助措置プログラム(åtgärdsprogram)の作成を指示しなければならない。児童生徒及び児童生徒の保護者は同プログラムの作成に参加する事ができる。
学校側は、1999年から2004年の間のJ君のホーブー・コミューンにおける学校生活に関して、2004年1月23日付の援助措置プログラム(åtgärdsprogram)を引用。そのプログラムには主に、問題視されているJ君の行動パターンに対する措置が含まれている。J君の読み書きができない事実に関する分析及び対策案は含まれていない。同プログラムに学校長の署名はない。
支援を必要とする児童生徒に関する業務において、援助措置プログラム(åtgärdsprogram)は核をなす文書である。学校における当該児童生徒の学習計画を立て、発展させる上で、このプログラムは職員にとって重要なツールである。援助措置プログラム(åtgärdsprogram)の目的の一つは、学校及び保護者が児童生徒と協力し合い、児童生徒の支援に関する話し合いを持つことである。その後、学校長は各児童生徒の支援対策に関する決定を下す。児童生徒の支援に関して適切に判断するためには、決定を下す前の、児童生徒の必要性に関する様々な調査が当然欠かせない。
この対策の導入が確実に効果を上げ、プログラムの目標達成につながるように、学校側は導入された対策に関する評価及び見直しを定期的に行う必要がある。
学校教育局は、ホーブー・コミューンが援助措置プログラム(åtgärdsprogram)に関する規定を遵守していないと判断し、同コミューンを批判している。
支援を受ける権利
学校教育法第1章第2条に基づき、支援を必要とする児童生徒に配慮しなければならない。
学校教育法第6章第1条に基づき、養護学校の教育は、知的障害のある児童生徒に対しできる限り基礎学校の教育に相当する、個々の児童生徒の状況に合わせた教育を提供する事を目的とする。
養護学校令の第5章第3条に基づき、特別教育の支援(specialpedagogiska insatser)を必要としている児童生徒に対しては特別な支援(särskilt stöd)を提供しなければならない。このような特別支援は児童生徒が在籍している学級あるいは集団内で、あるいは、特殊学級で行わなければならない。学校長は、児童生徒(可能であるならば)及び保護者との相談の上で児童生徒に対する特別支援に関する決定を下す。
養護学校の職員は、J君の学校生活の間中、彼は読む事も書く事もできないと、何度も指摘してきた。その原因に関する系統的な調査及び分析は行われていない。J君の困難に関する基本的な調査による評価及び、当時導入された対策がほとんど効果を上げなかった理由に関する評価も行われていない。
コミューンの相談・支援部門が保護者による調査申請を優先するため、学校の職員は保護者に対してJ君のディスレクシアに関する調査を要求するように更に頼み続けた。児童生徒の支援の必要性に関する責任を、保護者に負わせることがあってはならない。これは、学校長・学校側の責任である。学校側の意見書によると、現在は学校長でもディスレクシア調査を依頼することができるように、手順の変更が行われたと学校側は意見書で述べている。とはいえ、この点で学校側は、批判を避けることは出来ない。
更に、J君は、大きな困難及び必要性があるにも拘わらず、養護学校における学習期間中、特殊教育専門教諭のような関連する教育学上の資格のないアシスタントによって教育を受けてきた。学校側は当アシスタントが定期的に教育学上の資格を持つ職員の指導を受けてきたと主張している。学校教育局が以前ホーブー・コミューン内の学校の監査を行った際、養護学校のある児童生徒グループがほとんど児童生徒アシスタントによる教育しか受けていないことが判明した。児童生徒アシスタントが児童生徒達に関する全般的な責任を負っているにも拘わらず、養護教諭あるいは特別教育専門教諭による指導はなかった。
J君が受けた支援は、入念に作成された本来の対策プログラムのような、系統だった内容ではなかった。上記のように学校側が、J君に関して参照したのは1対策プログラムのみである。それは、問題視されているJ君の行動パターンに関し、複数の対策を含むプログラムである。J君の読み書きができない事実に関する分析及び対策案が含まれていない。
児童生徒が必要とする支援を実施するのが学校側の責任である。また、各児童生徒に対して適切な支援策を導入するために、必要に応じて調査を実施するのも学校側の責任である。すなわち、学校の任務を明確にして任務を遂行するための組織及び手順を作るのも、学校側の責任である。
学校教育局は、学校側がJ君に対して適切な支援を与える上で、規定を遵守していないと判断し、ホーブー・コミューンをも批判している。
総括
学校教育局の見解によれば、J君が不明瞭な規準で養護学校に入学させられたこと、また、学校側が高学年になるまで、J君のディスレクシアの症状をほぼ無視していた事実がどのような影響を及ぼすのか把握することは難しい。これに関する責任は学校側にある。学校側はJ君が必要とする今後の支援に関し、入念に考察しなければならない。
学校教育局は、児童生徒が間違って養護学校に入学させられた場合、学校教育法第4章第10条に基づき、義務教育を充分に修了できていない児童生徒は、学習を最後まで遂行できると判断された場合、義務教育期間が終了した後でも最長2年間は義務教育修了の機会を与えることができると主張する。
結論として学校教育局は、ホーブー・コミューンが養護学校によるJ君の受け入れに関して規定を遵守しなかったこと、ホーブー・コミューンが対策プログラムの作成にあたり規定を遵守しなかったこと、また、ホーブー・コミューンがJ君の必要性に合わせた支援を導入しなかったことは大変重度の過失であると判断している。
学校側が様々な点において学校教育規定に違反し、個人的案件において長期にわたりその事が大きな影響を及ぼしたことを踏まえて、学校教育局はホーブー・コミューンを批判する。
注意:
養護学校令第5章第1条には新たな文言がある。