基調講演「高齢社会フォーラム・イン東京」

「最後(期)まで生きがいを組み入れた支援プラン」

堀田 力 高齢社会NGO連携協議会 代表
(財)さわやか福祉財団 理事長

──サラリーマンをボランティア活動に引っ張り込む作戦

 こんにちは。1年に1回、この時期にお目にかかれて皆さんから力をいただきます。

 最初に姉崎審議官から、去年は私のほうが最初の挨拶で、名刺両面大作戦を勧めさせていただいた記憶を喚起していただきました。今朝も辻立ちをやってきました。名刺両面大作戦。名刺の裏に、やっている活動、あるいは支援している活動、NPO団体、ボランティア団体を書いて、名刺の交換を通じて広めていこう、という作戦です。

 現役のサラリーマンも狙いました。この層が、社会活動やボランティア活動に一番参加してくれない層なのです。何とか引っ張り込みたいと、去年もやっていました。厚生労働省から何千万かのお金も頂戴して、パネルをやったり、経営者に働きかけたり、体験活動をやったり。それはそれで税金の無駄遣いはしていません。いただいて、おそらくどこの団体よりも成果をあげることができていたと思います。6年間、それをやってきました。ただ、やはりやった分しか広がらない。特に男性サラリーマンです。動かないのです。たまりかねて名刺両面大作戦です。もうお金は頂戴しない。こちらから事業仕分けをしました。これは返上します、今年からお金をかけずに我々のボランティアでやります、ということで何を始めたか。それが辻立ちです。

 6月1日、新橋駅を汽笛一声スタートして、午前7時45分から8時45分までの1時間、マイクを握る。ボランティアの仲間たちに参加していただきました。毎回10人ぐらいが参加してくれます。今朝も参加してくれました。これが嬉しいのです。チラシを配って、「名刺の裏に応援しているNPO活動、ボランティア活動を印刷して、名刺の裏を使ったボランティア活動に参加しましょう。労力はかかりません。仕事上の名刺の交換を通じてボランティア活動が広まり、併せて会社の信用とあなたの信用も上がる、簡単にできるボランティア活動でございます」とやっているのですが、黙々たるものです。うつむいて、こちらの顔も見ない。チラシには目もくれないのです。

 時々強敵が現れて、おへそと足をたっぷり出した女性が数名、チラシを配ります。特にティッシュを配ると、男性は全部そちらに向くのです。そちらを見るならこちらも見てくれと思うのですが、こちらには目もくれず、ティッシュとおへそだけ見て立ち去っていくサラリーマンです。それ以外のことに関心がないのか。しかし、それすらもらわない人も多数です。おへそを出していても見ない。うつむいたまま、ただ黙々歩いていく。この力のなさ、勢いのなさ、元気のなさ。これで日本社会が支えられるのか、これで会社へ出て仕事をするのかと本当に心配になる大群に向かって、1時間、叫び続けているわけです。

 私のボランティアの仲間たちもチラシを配ってくれていますが、冷たい拒絶です。全くの無視です。無視、無視、無視の中で耐えてボランティア活動を訴える仲間たちには感謝、感謝です。「この辺に住んでいますから、よしやりましょう」といろんな仲間が参加して配ってくれますが、無視、無視、無視。それでも、何十人の無視の中で誰か1人が受け取ってくれると、また受け取ってくれる。1時間やると、「頑張ってください」と励ましてくれる人、にっこり笑ってくれる人。これが力をくれるのです。手でバシッとはねつけられると、心痛んで10分ぐらいは落ち込んでいるのですが、「頑張ってください」と言われると、また元気が出て「よしやろう」となります。中には、「100枚ください。うちの事業所でやりますから。しっかり頑張ってください」「100枚といわず、もう100枚」と、うちのボランティアもしっかりしています。ちゃんと持って帰ってもらっています。そのようにして、少しずつは広がっています。

 サラリーマン、特に中年の男性サラリーマンです。我々とは関係ないじゃないか。関係あるのです。他の層は参加してくれています。子ども達も、専業主婦も、定年退職者も、地域で結構やってくれています。でも、我々の仲間である男性サラリーマンだった定年退職者は、地域に戻ってもショボンとしています。なかなか居場所がない。名刺の裏にボランティア活動は書けるのですが、表の肩書きがないのです。「元」と書いている人もいますが、これは寂しい。名刺がなくて地域社会の中へ入っていく心細さ。仕事をしていた時の、職場で肩を張って座ってハンコを捺していた時の勢いは全くないのです。見知らぬ砂漠に迷い込んだ子羊かラクダか知りませんが、頼りない。

 それは当然です。樋口恵子さんはおっしゃいました。女性は地域でしっかりとみんなと組んでやっている。同年輩の男性と女性のパワーを比べると、平均的に言っても男性3人で女性1人です。これだけかからないと負けます。だからしゃべろうと思ってもしゃべれない。駅からうつむいて黙々と歩いていく。あの姿であのまま地域へ入っても、ショボンとしています。これでは居場所がないです。続かないです。

 やはり現職のサラリーマンを現職の頃から地域に引っ張りこむ。地域の活動も社会の活動も同じです。社会の年齢構成と同じ年齢構成で、地域活動に参加し、ボランティア活動をやっていないといけない。いびつな構成でバランスの取れた活動が展開できるはずがないのです。現職のサラリーマンも参加できるところは参加し、応援するところは応援する。お金だけの会員でも結構です。会員になって参加してもらう。そこで初めてバランスの取れた地域活動やボランティア活動を展開できるのではないか。ここでバランスのある活動が展開できていないと、最後(期)は施設やグループホームのどこに行ってもいいのですが、男性はこれがまたあかんのです。どこにいるのだ。この間、京都で「居場所」の会(ふれあいの居場所普及サミット)をやったら、参加者の1人の女性の発言がありました。参加して発言する女性のパワー。このすごい力。彼女は「男性はどこに行ったのですか。堀田先生以外に男性はいないのですか」と叫びました。高連協にお招きしたかったです。パワーが違います。職場にはもっともっと女性、政治にももっともっと女性、内閣も半分は女性。どこも全部バランスよく構成されていないと、本物の姿にはならないと思います。

 男性サラリーマンは後輩をぜひ引っ張ってください。札幌でも仙台でも参加し始めてくれています。実際、札幌の会社が丸ごと参加してくれるなど、広がってきました。「霞が関の高級官僚も参加してくれました」とやっています。「霞が関の高級官僚」と言うと、歩いている人はちょっと目を上げます。効果抜群です。「高齢社会白書」にも、さわやか福祉財団の活動や我々仲間の活動を取り上げていただきました。仲間がこういった活動を全国で展開してくれています。国にも認めていただきました。もっともっと広めてまいりたいと願っています。

 ちなみに、配布させていただいた『さぁ、言おう』は私どもの情報誌で、毎月発行しています。表紙の裏に、どういう姿でやっているかが載っています。のぼりを立てて、帽子をかぶってやっています。山手線を全部回ります。新橋に2週間、浜松町に2週間、田町に2週間が終わって、今、品川の第2週に入っています。これから大崎、目黒と回っていき、来年の8月に新橋に戻ってきて一周ということになります。この一周を全部やりきったらファンド(寄付)をください、これを更に全国に広める活動もやります、と企業にお願いしています。

 宣伝にたくさん時間を使わせていただきましたが、このように後輩たちも引っ張り込んで、バランスの取れた地域活動を広めていきたい。まずそこから始めたい。仲間を引っ張るのも大切なボランティア活動・地域活動です。ご協力お願いいたします。

──「要介護」から「自立」に戻した「生きがい」

 サラリーマン層を引っ張り込むという話から入りました。今度は高齢者です。

 高齢者でも、最後(期)のところです。施設に入る、あるいはグループホームに入る。いきなり最後(期)の段階に飛びますが、そういう状態になっても生きがいを持って生きる。そういう仕組みを作りたい。これも今の重点活動です。

 生きがいというものは、ある時期になっていきなり出てくるものではないのです。これは結局、子ども時代から実は自分のしたいことがあってやっていって、楽しいよね、自分も成長しているよね、人の役にも立っているよね。そういう実感があって、そして働いている期間は仕事も一生懸命にやりますが、仕事の中にも自分を生かしていて、自分は成長しています。けれども、仕事以外のしたいこと、地域の活動はどうか。まず家庭です。家庭の中で自分の居場所がないとどうにもならないです。子どもとの関係すらない。奥さん任せということでは、自分の居場所の活動、ボランティア活動はできません。生きがいもありません。しっかりと自分を持って働いている時代を送って、その続きで高齢時代に入り、仕事を辞めても仲間がいて、したいことがあってしたいことをして、それがやがて人のお世話になる立場になり、人によっては施設あるいはグループホームに入る。そういう所に入っても、最後(期)まで自分のしたいことがあって、したいことを言って暮らせる。これです。

 一貫して生きがいが最後(期)まで持てる。生きがいが最後(期)まで持てるということは、自分の人生を大切にしている、自分を最後(期)まで大切にしているということです。人生は自分を大切にしないであり得ないでしょう。自分はどうでもいいけれども、人の人生が大事とか、社会が大切とか、政治が大事とか、そんなことはあり得ません。それは子どもも中年も大人も全部一緒です。自分があって自分が大切で、自分が大切にされている社会にいるから、仲間が大切であり、人の人生も大切であり、自分を支えてくれる、あるいは自分を生かしてくれる社会が大切で、だから社会活動をする。人や社会とのつながりがあって、初めて自分が生かされるわけです。その中で自分が生かされていて楽しい、生きがいを感じて生きている。これがなくて他の活動はあり得ないのです。自分を放ったらかして人のことをやる人はいません。いるとしたら仏さんです。つまり人間ではないのです。生きている限りは、まず自分です。自分が生かされていなければ何もないのです。自分を生かすということは、どんな状態になっても最も大切なことだろうと思います。

 実際に、認知症になった方々、あるいは高齢でホスピス病棟に入った方々。こういう状態になっても自分を大切にして、生きていることが本当に素晴らしいと感じて生きている。これはすぐ分かります。笑顔です。そういう方は心を開いているから、黙々と下を向いて歩くサラリーマンとは違います。周りの人たちの顔を見ます。様子も見ます。人も迎えます。人とつながります。声もかけ合います。認知症になっても同じです。その中で自分はこのようにして生きることが楽しいのだと感じていることは、顔を見たら分かります。

 一昨日、1万人市民委員会がありました。施設をやっている方々やボランティアをやっている方々、デイケアをやっている方々が、写真を持ってきてくださいました。ビフォーとアフター、前と後。かつてこの人はこんな状態だった。今この人はこんなにいきいきしている。顔、目、肌。かつては全部死んでいます。それは施設に入って世話を“されていた”時代です。世話をする福祉です。世話をしてあげるのは優しいことだという錯覚です。違います。世話をして本人に何もさせないと、相手の人の心を殺してしまいます。

 「夢のみずうみ村」は、藤原茂さんという方が株式会社でやっている施設です。彼がはっきり言っていました。福祉でずっと教えてきたのは、お世話が上手で、何でもやってあげるということです。私も福祉の教科書を編集させてもらったことがあるのですが、見た時はびっくりしました。世話の仕方ばかり書いています。そして実習の写真や図面が出ていますが、使っている多くは人形です。たまには職員がゴロンと寝て抱き起こし方を示していますが、これは人形と一緒です。人形を起こしてどうするのですか。そこに寝ているのは人形ではなく人です。

 人は、できれば自分で起きたい。起こされるのは悔しい。本当は自分でしたいのです。人におしめを換えてもらうのは嫌です。そんなことはされたくありません。自分ができないから、悔しくて悔しくて恥ずかしくてならないけれども、我慢して、してもらっているのです。中には怒る人もいます。おしめを換えるたびにカッと怒る人がいます。「子どものウンチならいいけれど、じいさんのウンチはたまったものじゃない。それを換えている時に何で怒るのか。気持ちいいだろう」。恥ずかしいから怒るのです。何となく想像がつくでしょう。恥ずかしいのです。そんなことをされるのは悔しいのです。しかし、それを黙らせてシャッシャッとやるのが上手なのです。

 藤原さんは言っていました。「本当のプロとされているのは、実は全部アマチュアだ。世話ばかりするから、プロは全部アマチュアなのだ。本当のプロは何か。しない、待つ。本人が少しでも自分でできる気配があったら、それを待って励ましてさせる。これがプロなのだ」。気に入りました。ずっと言ってきていたのですが、それを評価してやってくれる施設の指導者が出てきたのです。

 自分でやれることをやって楽しいでしょう。自分はできるのだ。人の世話がなくてもここまでできるのだ。よくやったねと褒める。ますます元気になる。顔色が良くなってくる。人形にさせられていた時の死んだ顔と、自分で頑張ってやるのだという自信を持ちだした顔は、全然違います。自分を大切にして生きている。そこから始まるのです。

 それはそこでとどまらず、要介護の4・5になっても、まだまだしたいことができる、こんなこともできる。ネギを切らせたら一流のおばあちゃんは、何本でも切ります。ネギを渡しておいたら、1年分ぐらい切ります。それは本当に素晴らしいのです。わらじを編んでいたおじいちゃんは、ちょっと目を離すと、ずっとわらじを編んでいます。そんな長いわらじを誰が履くのだ。でも上手なのです。認知症で自分の子どもの顔も名前も分からない。それでも編んでいます。

 私の妻の父親は96で死にました。後のほうは認知症で人の顔は全然分からなかったのですが、私の顔は分かるのです。私が妻と行くと、「ああ、堀田さん」。必ず「お若いですね」と言ってくれるのです。妻の父ですが、妻には「どなたですか」と言って分からないのです。自分の娘の顔も分からないのに、碁が強いのです。好きなのです。食事をしている時も茶碗を四角に置いたり斜めに置いたり、何でも斜めや縦横に置いてしまうのです。そして自分で自分に問題を出して「うーん」と考えています。考えているのが生きがいなのです。娘の顔が分からなくなっても、したいこと、得意なことをやっている時は、いきいきとした顔をしています。風呂に入ろうと言うと、すぐ逃げ出すのですが、それはしょうがない。色々ありますが、どんな状態になっても、それぞれにできることがある、好きなことがあるのです。

 認知症の人の所に行っても、それを上手に使っています。例えば習字が上手な人はその日の献立を書いています。素晴らしい字で書くのです。字を覚えています。他のことは全部忘れているのに、字だけはピシッと覚えています。好きなのです。それを貼り出しておくと、食堂に来て自分の字を眺めています。あれは気分がいいのでしょう。人を呼んでは、「どれを食べる?」とやっています。

 それぞれ上手なことがあります。それを生かすことによって能力も変わってきます。認知症でも色々な能力が戻ってきます。買い物が好きなおばあちゃんには買い物に行ってもらいます。コンビニと組んで、後でちゃんと払うことにしておけばいいのです。いっぱい買ってきます。よほど歯磨き粉がないことに困ったのか、歯磨き粉ばかり買ってくる人もいます。トイレットペーパーを買ってくる人もいます。同じような物ばかりを買ってきますが、後で返せばいい訳です。歯磨き粉が店との間を回っているだけの話です。回らせておけばいいのです。お金は天下の回りものだからツケにして、これも回らせておけばいいのです。

 買い物に行った時におばあちゃんは、「今日はこんな買い物をした」と一番いきいきしています。そしてお釣りです。レジの列の後ろで急いでいる人は足をバタバタやっていますが、あれはいい訓練になります。若い人はバスでも「何している」とすぐ押しのけようとしますが、日本人の一番駄目なところです。若者を訓練するためにも、認知症のおばあちゃんに買い物をしてもらうのはいいことです。ゆっくりと釣銭を勘定します。合っているわけではないのですが、受け取るほうで上手にやって「ぴったり。すごかったね」。それで満足して帰って、その1日は幸せです。1日で忘れてまた翌日、同じ物を買ってきますが、それはそれでいいのです。コンビニとの往復だけで生きがいが続くのです。

 だから生きがいといっても、難しいことではないのです。自分が生かされている、交わっている、普通にやれている、人が感謝している。「買ってくれてありがとう」。この一言が嬉しいのです。それで元気になるのです。そういう仕組みを、上手な施設の方は、生きがいを取り入れるとか面倒な理屈もなしに取り入れてやってくれています。そこは元気で成果がいいです。重度になった人が帰ってきたり、要介護度5の人が3に戻っています。要介護度4からダダダッと要支援・自立まで戻る人がいます。

 剪定をするおじいちゃんがいます。みんなの集まる場所に来て庭の剪定をします。来る前は、立つことができなくて車椅子で座りっきりのおじいちゃんです。「居場所」に来て好きなことをして、一番居心地がいいので施設には行きたくない。みんなが集まるただの「居場所」です。人がいて何をするという訳ではないのですが、そこに来ている人と好きなことをして好きなことをしゃべっているうちに一番好きになって、そこに来ないと落ち着かなくなってしまったのです。そのうちに役に立ちたくなったのです。

 料理を作ったり歌を歌ったり、それぞれの人が好きなことをして役に立っているわけです。そのおじいちゃんは、庭の下の木が生えすぎているからと剪定をやりだしたのです。そうすると、「おじいちゃん、ありがとう」「見通しが良くなったよ」と言われているうちに、車椅子から立っていたのです。下のほうは全部切ったので届く所がなくなってしまって、どうしても上を切りたくなったのでしょう。絶対に立てなかった人が、上の所を剪定したいばかりに立ち上がったのです。立ち上がったらその勢いで、何日も何カ月もかかって、立って手の届く所を全部やってしまったのです。その次は木に登っていたのです。みんなびっくりしたそうです。

 このおじいちゃんは、要介護度4だったのが自立になったのです。全部やれるようになったのです。不思議です。人の役に立っていて、みんなが認めてくれる。それで頑張ろうという気持ちが起きる。この「頑張ろう」という気持ち。それで自立まで戻った。そういう生きがいです。

──プロのケアとアマチュアのケアで支える高齢社会

 ケアの仕組みがあります。要介護いくつになったらどうとか、これだけケアをするとか。あれは世話をする話です。藤原さんの言葉で言えば、アマチュアの福祉です。その中に生きがいを入れて、本人がやれることは自分でやる。そして本人がしたいことをさせる。それを待つ。そうすると本人の方から頑張り出して、良くなっていく。これがプロの福祉なのです。それをやろうと思ったら、待つしかないです。やれることは何か。何が好きなのか。それを待って、そしてやれることを少しでもやっていく。このプロのケアに変えていかなければいけない。これがまず1つです。

 ケアを変えると同時に、生きがいです。生きがいを支えるということは、福祉のケアをするヘルパーさん、お医者さん、看護師さんなどプロの方々にも、生きがいは大切だということを認識してもらわなければいけませんが、では生きがいを引き出してやりなさいといっても、それは無理です。絵が好きな人もいる、散歩が好きな人もいる、音楽を聞くのが好きな人もいる。ここが我々の出番です。

 後がだんだん見えてくる。そちらの世界にだんだん入っていく。ここでもう1つ上の世代の生きがいがあります。色々な生きがいがあります。話をするだけでもいいのです。碁でもいいし、散歩でもいい。何でもいい。これを引き出す作業を我々がここでやっておけば、相手の方は最後(期)まで自分を生かして幸せに人生を遂げられます。ただ世話をされるだけで大事にされて、「寝ていなさい」「ゆっくりしていなさい」と言われているのが幸せなのか。どちらかというと、こき使われて「あれして」「これして」と言われて、失敗したり何やかんや騒ぎながらやっているほうが幸せなのか。それは分かるのです。

 これは体験してみないと分かりません。私の尊敬する、岐阜の中部女子短期大学の女性の学長はおやりになりました。70代で娘さんに学長を譲って、その時に私の所に相談に来られました。「堀田さん、岐阜にも会があるのでしょう」「岐阜でも仲間たちが高齢者を支える活動をしています」「そこに入れてください」。入れてくださいといっても、岐阜の名家で学長さんと言ったら、その地域では大有名人なのです。「あなたのような人に我々の団体に入ってもらったら、相手の人は世話をしてもらうのに気がひけます。嫌がって逃げてしまうから、そんなことはなさらなくても、英語を子どもに教えるとか、いろんなボランティア活動があるでしょう」と言ったら、「私もいずれ世話をされる身になるのだから、ここで世話をする練習をしたい。勉強をしたい」とおっしゃるのです。それならお断わりすることはできないと団体を紹介したら、そこへその学長さんは入って、高齢者の家へ行って一生懸命に世話をしていらっしゃいました。志の素晴らしい方です。一緒に本当の仲間としてやりました。

 それから1年もしないうちに、脳溢血か何かで倒れられ、世話をされる立場になりました。学長である娘さんが一生懸命に看ていらっしゃいましたが、頑張って看られるのは、ひと月だと娘さんは言っていました。「ひと月頑張ったら、後は優しい言葉をかけなければ、と思っても言葉が出てきません。体が疲れ果てて、もう私は駄目」とおっしゃっていました。

 そこで娘さんには、「昔の仲間達がボランティアで行っているのだし、みんなに任せて、あなたは学長さんでやっていればいい。お話をしたり、手を握ったり、顔を合わせたりするだけでいいじゃないですか」と申し上げました。うちの仲間達に聞くと、とても評判が良かったそうです。「あのおばあちゃんの所へ行きたい」「行ったら気持ちがいい」。何で気持ちがいいかというと、何をしても「ありがとう」と言ってもらえる。それだけなのです。

 だから簡単なのです。自分でやってみなくても、これさえ分かってくれればいいのです。でも、「ありがとう」を心から言わないと駄目です。口先で言っても、目を見れば分かります。彼女は心から「ありがとう」。その言い方が、本当に気持ちが良くて、ボランティアからも人気沸騰です。それから若い医者からも、「往診であのおばあちゃんの所へ行きたい」とモテているのです。それも「ありがとう」なのかと娘さんに聞いたら、もうちょっと手がこんでいると言うのです。お医者さんが来る時は香水をふって、「先生が来られるからふったの」という手でやっていると娘さんから聞き出しました。

 あなたのおかげで私は安らいだ気持ちでこうして寝ていられるという気持ちが、どうすれば通じるか。娘さんはひと月で優しい言葉はかけられないと言っていましたが、亡くなるまで半年以上色々お世話を受けて、86で亡くなりました。大往生だと聞いています。みんなから愛されて、自分のしたいことは色々おっしゃって、素晴らしい人生だったと伺っています。

 そういう心の交流の部分は、忙しいヘルパーさんや看護師さんはしていられません。いつまでも時間がかかって帰さない。特に認知症の人は、碁でも将棋でも大変です。取っても取られても、王様がなくなってもやっているから、時間がいくらあっても足りません。そこで我々の出番です。1人でやる必要はありません。ご近所にそういう状況の方がおられたら、何人かで組んでやる。それで相手の方に認められて幸せです。そしてそういう活動が大事だと認めてプロのケアをやるようになってくれれば、安心して最後(期)まで自分らしく生きることができる社会になると思います。我々のすべきことも大切です。

 ケアをやっているプロの方々には、人形のケアではない、生きている人間のケアをお願いする。自分でやれることをそれぞれに持っている。どれだけやれるかを見つけて、それを更にやれるようする。その喜びを感じるケア。そして生きがいが大事だということを認めるケア。こういうケアをお願いして、そこの所を我々もしっかりやる。その両方が合わさって、動かない部分はあっても、体も心も最後(期)までいきいきと暮らせるケアの体系ができることを願っています。

──高齢者の尊厳を支えるための365日24時間サービス

 今、生きがいを組み入れたケア、それから能力を生かすケアということを申し上げました。そのケアが具体的に動き始めています。介護保険制度が2000年にできて、10年、経験してきました。色々な問題が出てきています。基本の骨格はしっかりできていると思います。介護保険制度がなければ、今、大変なことになっています。介護保険のない日本は考えにくいです。どれだけ介護殺人が起きているか、どれだけ遺棄・虐待が起きているか。想像するとゾッとする状況です。介護保険制度は基本的には大きな役割を果たしてきていますが、いかんせん、財政の問題があります。お金をいくらかけてもいいというわけにはいきません。しかしその中で、更に良いものに作り上げていくにはどうすればいいか。これが課題です。

 流れで言うと、介護保険制度ができた。3年程の経験を積んだところで、10年程の見通しを立てた。これが「2015年の高齢者介護~高齢者の尊厳を支えるケアの確立に向けて~」です。尊厳という言葉が初めて介護の世界に入ってきました。尊厳が最高の理念。自立の上にあるすべての人の尊厳。その人らしさを確保する。この仕組みが、5年目の時にでき上がりました。「2015年の高齢者介護」には樋口さんにもお入りいただきました。途中で選挙があって、残念ながら半分お知恵をいただけなかったのですが、最初の頃にたっぷりと樋口さんのお知恵もいただきました。私が不肖、座長を務めさせていただき、色々な分野の方に入っていただいて方針を打ち出しました。この時に、尊厳を目指すという最高のところ。そして色々なサービスと医療も組み合わせた地域包括ケアをやる。なるべく施設ではなく在宅で、地域で包括的に支える仕組みを作る。地域密着型の施設や地域包括支援センターなど、色々な仕組みがこの時にできました。これで介護保険制度が進んだのです。

 進んだけれども、その後小泉改革があって、聖域なき改革と言われて社会保障のお金も削られることになりました。このお金の面で、せっかくできあがった制度が運用の面でかなり後退することになったのです。これは大きな間違いだと思います。小泉さんは、色々な改革を進められたのは素晴らしいと思います。モノの経済については、民に任せ経済力を高める改革は素晴らしかったと思います。民の力も引き出したし、グローバルにもやっていけるようになりました。しかし、介護はもちろん教育・医療など、人を対象とする、人の尊厳を支える分野までモノと同じように扱おうとした。ここが大間違いでした。人とモノは違います。モノは人のためにある。人は主人公です。この分を削ってはいけないのです。この分は歯を食いしばってでも支えていかなければいけない。そこの所を間違えたのです。その為に運用面でかなり後退したところがあり、不満もいろいろ出てくるようになりました。

 我々は、金を出さないなら人のエネルギーで支えよう。我々の生きがい・ボランティア活動、この部分で少しでも補っていこう、と運動を続けていますが、土台の介護保険制度がしっかりしていなければ、いくらボランティアといってもそれは駄目です。それだけで支えられるものではないのです。こちらはむしろ気持ち・精神の問題です。人間は精神も大切ですが、やはりまず体が大切なのです。ここがしっかり安定していないと、どんなに崇高な精神を持った人でも駄目です。お腹が減っては、話は始まりません。体が痛ければ話は始まりません。辛ければ話は始まりません。ここを支える一番土台の部分が厳しい中でもしっかりと進んでいくように、ずっと横から見ていました。

 今、正しい方向をきっちり出しているのは、地域包括ケア研究会です。田中滋先生が座長をやられて、今年の4月26日に報告書が出ました。田中先生は、私や樋口先生がやっていた「2015年の高齢者介護」の時に副座長をしてくださった方です。この方がその時の精神もしっかり受け継ぎながら、「地域包括ケア研究会報告書」を出してくださったのです。これは2025年までです。2015年が近づいてきたので、その10年先の2025年までを見据えて、地域包括ケア、みんなで支えようという方向を打ち出しています。

 「2015年の高齢者介護」は、役所が出した本としては珍しい隠れたベストセラーで、市販の本もずいぶん売れました。お医者さんからボランティアまで、色々な方が勉強してくれたのです。韓国語訳まで出ました。みんなで基礎を勉強して、これが良かったのです。それに匹敵するというかその延長線上の「地域包括ケア研究会報告書」は、ほとんどご承知ないのが残念です。一民間研究所の研究なのだと厚生労働省は言っています。なかなか評価されませんが、これは2025年までのほとんどの部分について、しっかりといい方向を示しています。

 その中で、24時間365日、短期巡回サービスを打ち出しています。かなり力仕事がいりますが、これがこれから介護の人の支え方を変えていく大きな姿です。どういうことか。今の介護保険は滞在型のサービスです。30分、1時間、2時間とか、週に2回2時間とか、行って滞在してやるサービスです。けれども、例えばトイレ介助が必要な方は、1日1時間来た時に、今日中の出すものは全部出してください。あとは、サービスは来ませんからと言われても、それは出ないです。あれは間隔をおいて出るものです。今日は食事を作ります、朝昼晩3食分を食べておいてください、あとは来ませんからと言われても、それは駄目です。着替えも、今日は1回来ますから、来た時にパジャマを普通の服にして、私が帰る時にはパジャマにして帰ります、あとは来ませんからと言われても、その後ずっと昼間もパジャマでいるのはあり得ないです。

 この滞在型は手が届かない。届かない分を誰がやるか。それは家族がやるしかない。そうすると、家族がやってくれる人しか自宅で暮らせない。家族がやれなければ施設に入る。これしかないのです。それはおかしい。在宅で自分の家で暮らしたい。本音を聞けば全部そうです。家族に迷惑をかけるから、泣く泣く施設に入るのです。本当は家にいたい。講演の時に手を挙げてもらったら、全部そうです。「最後(期)まで家で暮らして家で亡くなりたいという希望の方」と聞いたら、ほとんどの人は手を挙げます。「今、手を挙げた方で本当に自分がそうできると思っている方」と聞いたら、挙がった手がおります。ほとんどパラパラしか残りません。

──最期まで尊厳を持って暮らせる仕組み

 自宅では好きにやれます。好きにやれるということが、自分らしく生きる、尊厳ある暮らしということです。本当はそうしたいのです。けれども、今の介護保険ではやれない。やってもらおうと思ったら、家族に迷惑をかける。迷惑をかけたくないと思ったら、やれません。それが実情です。ましてや、1人暮らしで要介護4・5は家にいられません。

 そこをやれるようにしないと、本当に尊厳を支えるための介護は無理ではないか。そのための365日24時間サービスなのです。これは施設でやっているわけです。施設に入ったら、ちょっと来てやってくれます。用事があったら、来てやってくれます。これを在宅でもやればいい。必要な時に、ちょっと来てちょっとやって回っていく。これが24時間巡回サービスです。1時間2時間と滞在するものを細かく分けて、必要な時に必要なことだけをやってサッと帰る仕組みに変える。トイレをする間隔は人によって決まっているから、その時に行ってそれだけやってサッと回っていく。この仕組みができて、それに看護師さんの巡回を組み合わせるのです。胃ろうとか痰を取るとか、これはヘルパーさんが少しやれるようになりましたが、色々な医療サービスがあります。そのようにしてやれば、家族がいなくても、あるいは家族がやらなくても、本人がいたい自宅で最後(期)まで暮らせます。そういう仕組みに作り変えよう。

 私は東京都の地域ケア研究会の座長をさせてもらっています。福祉の一番遅れている東京都。特に山手線の内側です。この地域を何とかきちんとやれる地域にしたいということで、2年前から都の研究会を始めました。今年の秋には報告書を出します。その中では始めから、365日24時間サービスを目指してどうすればいいのか、生きがいを入れるにはどうすればいいのかまで、かなりまとまっています。いいところまで来ています。何もできない、施設もほとんどない、隣の県に迷惑をかけている東京都でもやれるのだと見えれば、全国でやれるのではないですか。それを打ち出そうと思っています。

 その方向に向かいつつあります。そんなことはできないだろうと言うと、やっている所があるのです。例えば長岡がやっています。小山さんという、「2015年」の時から参加してくれている人です。やる気になればできるのです。お金もそんなにかかりません。新しいものを建てるから、色々なものがかかるのです。空いている家をどんどん借りればいいのです。今頃は、空いている家がいっぱいあります。東京中を回ってみれば、東京ドームいっぱい分ぐらいあります。あれを全部使えばいいのです。

 そういう所を使って、24時間ヘルパーさんが行く。そして食事も365日、3食サービスです。食事が行かなければ、家で1人ではやれません。買い物ができない。そういう方の所にも届く。地域密着の施設で作ってもらえばいいのです。どうせ施設は入っている人のために作るのだから、周りの人の分も入れて倍ぐらい作って配れば済みます。配るのは地域の者がやってもいいし、その施設の方がやってくださってもいい。それで食事は届きます。お風呂はピックアップしてもらって、施設でもグループホームでもいいので、お風呂に入れてもらえばいいのです。男性が遊びに行くお風呂屋がたくさんあります。社会貢献で、1日2時間ぐらい開放してもらえばいいのです。阪神淡路大震災の時は開放してくれたのです。大きなお風呂に行ったり、家のお風呂に入ってもらってもいいのです。そのようにして、生活・介護・医療のサービスを届けていけば、施設のない東京都でも、施設を作らなくてもできる。隣県にご迷惑をかけなくてもやっていけるのです。

 自宅でやることはいっぱいあります。友だちもいます。そこで暮らしていけばいいのです。どのようにすればいいのか。アパートやマンションなどの集合住宅に入っているか、自分の家を持っているか、どちらかです。集合住宅は、全部施設にしてしまえばいい。集合住宅はどんどん高齢者が増えています。1階に診療所・ヘルパーステーション・地域包括支援センターの支所・配食サービスなどを全部入れていって、そこから高齢者に届ければいいのです。自分の住んでいる家にサービスが届くわけだから、結局、自分の家であって、かつ施設と同じようにサービスが届くことになります。そして生きがいは仲間とやっていればいいのです。そうすると、集合住宅は高齢者の施設になってしまうのです。何も新しく作らなくても、東京都でも十分やれるのです。

 では個別の住宅に入っている所はどうか。その地域の中学校区1つぐらいを集合住宅と同じように考えて、その中に診療所やヘルパーステーション、地域包括支援センターの支所、市民後見人のNPOなどを、たくさん揃えていけばいいのです。そして自分の家にいてもそういうサービスが必ず届く。専門のお医者さんがいて状況を把握してくれている。そういう姿に変えれば、今の住宅そのものが施設と同じになります。

 日本中を施設にしてしまおうというわけだから、これは高齢者による日本の占拠です。でも、高齢者に優しい安心できる町は、中年にも安心できるし、子ども達も楽しく過ごせる地域になります。

 そういう方向を目指して、まず都の報告書が秋に出ます。これは存分に活用してほしいと思います。国のほうは、365日24時間巡回サービスの研究会がこの6月から始まりました。この研究会も不肖、私が座長を務めさせていただいています。そこで申し上げたような姿をしっかり打ち出して、みんなが安心して暮らせる所にしたい。都の方は「生きがい」も入れた仕組みを打ち出しますが、国の方は残念ながらそこまで入れてくれません。365日24時間までもってくるのにフーフーです。なかなかです。

 そういう動きがあるので、夢みたいな話だと思わないで、やる気になればできるのです。その中で我々も「生きがい」の部分は持つぞ、よし来いと、どっしりと引き受けてほしいのです。そのために高連協は出発したのではなかろうかと私は信じています。

 ご清聴ありがとうございました。

略 歴

弁護士。高齢社会NGO連携協議会(高連協)共同代表。さわやか福祉財団理事長。
最高検察庁検事、法務省大臣官房長等を歴任。「認知症まちづくり100人会議」議長、他。
著書に『悔いなく生きよう』、『これからは何のために生きる』等。

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