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「交通事故で家族を亡くしたこどもの支援に関するシンポジウム」の開催について

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シンポジウムのチラシ

警察庁では、交通事故被害者等が、つらい体験や深い悲しみから立ち直り、回復に向けて再び歩み出すことができるような環境を醸成し、交通事故被害者等の権利・利益の保護を図ることを目的とした「交通事故被害者サポート事業」を実施している。

本事業では、交通事故で家族を亡くしたこどもの支援について広く情報発信するため、一般の方も聴講が可能な「交通事故で家族を亡くしたこどもの支援に関するシンポジウム」を開催しており、令和6年度は「交通事故で家族を亡くしたこどもの支援」をテーマとし、専門家による講演や対応事例の紹介、交通事故で家族を亡くした遺族による体験談の発表等を神奈川県で実施した。同時に、ライブ配信及びオンデマンド配信も実施した。

・国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター
認知行動療法センター研究開発部長 伊藤正哉氏による基調講演
・臨床心理士・公認心理師 山下由紀子氏による対応事例の紹介

シンポジウムの開催状況

伊藤氏は、「大切な人を失ったあとに:子どもの悲嘆とそのケアについて、認知行動療法からのヒント」と題して、遷延性悲嘆症など悲嘆に特化した心理療法の研究に携わる立場から講演を行った。「悲嘆」は大切な喪失が起こったときにほとんどの人で起こる自然な心の反応であり、「愛着」と「悲しみ」があるからこそ起こると説明した。急性期と慢性期の心の反応、慢性期のからだの症状と行動上の変化を説明し、「心のまひ」「切望」「混乱と絶望」「回復」という悲嘆反応の段階を経て課題を解決していくことで、悲嘆から回復した状態に至ると説明した。こどもの悲嘆の心理ケアで気を付けるべき点として、「安心と安全」を取り戻すためにその子にとって安心できる人にどうすればなれるかを考えながら関わること、「喪失の理解」に当たっては、周りの大人や社会がその出来事をどのように捉えているのか等を説明することも効果的であり、その際は、本人の様子を見ながらペースに合わせて穏やかに伝えること、「生活を支える」に当たっては、当たり前の日常生活を今できる範囲で一つひとつ大切にすること等と示した。

山下氏は、横浜市教育委員会スーパーバイザー、神奈川県教育委員会学校緊急支援チームスーパーバイザー等として学校緊急支援や被害者支援に携わる立場から、「交通事故で家族を亡くしたこどもの心のケアとサポート」と題して、架空事例を通し学校の緊急支援とその後の支援について対応事例を紹介した。学校組織の機能を回復させるため緊急対応チームが教職員への支援を行い、被害者や被害者家族の支援と児童生徒への心理的ケア、児童生徒や保護者・教職員への心理面接や保護者説明会での支援の実施等の流れを説明した。こどもへの対応のポイントとして、心理的・物理的な安心安全感の確保、大人が落ち着いてこどもの気持ちを聴き、正常な反応として受け止めること、こどもの主体性が守られること、説明を求められたときには適切に情報を伝えること、日常生活を大事にすることと示した。

・交通事故で家族を亡くした遺族2名による体験談の発表 ・質疑応答

コーディネーター:令和6年度交通事故被害者サポート事業検討会委員、飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会幹事 井上郁美氏

専門家:令和6年度交通事故被害者サポート事業検討会座長、元同志社大学教授 川本哲郎氏

交通事故で家族を亡くした遺族2名が当時の体験談や必要な支援等について発表を行った。その後、井上氏がコーディネーターを務め、意見交換を行った。

吉田陽向氏 ― 平成14年(当時1歳)、父を交通事故で失う

父は、仕事に出かけ1時間も経たないうちに交通事故に遭い、亡くなりました。母は、自分にできることは全てやろうと必死の毎日だった中、父方の遺族から理不尽な言葉をかけられ、それが今でも心の傷になっていると語っていました。大切な人を失う痛みは誰にとっても耐え難いものです。相手を責めるのではなく、寄り添い支え合うことは決して忘れてはならないと考えます。

物心ついたときには父はすでに亡くなっていたため、私自身は父がいないことに違和感や不満はなく、母のおかげで寂しいと感じることや境遇に引け目を感じることもありませんでした。しかし、周囲の人から不必要に気を遣われ、「かわいそうな子」と色メガネで見られることには抵抗があり、自身の境遇を積極的に打ち明けることは避けていました。自身の気持ちを誰かに共有できることはないと諦めていました。しかし、大学への進学を機に入寮した交通遺児育英会の寮「心塾」での、自身の経験や気持ちを打ち明け共有することができる仲間がいる環境は、予想以上に安心できるものでした。交通遺児が悩みを相談できたり話を聞いてもらえる環境が身近にあるだけで安心につながります。こども自身がそのような場にたどり着けるよう、目につきやすい場での情報の掲示や発信など必要な支援を受けるための情報面での支援が、継続的かつ活発に行われればよいと考えます。

水木紗穂氏 ― 平成15年(当時9歳)、姉を交通事故で失う

姉の事故以降、生活は大きく変わりました。両親は毎日、裁判で闘うための資料を作っていました。周りから「お父さん、お母さんが頑張っているんだから、紗穂も頑張って家族支えてあげな」と言われ、つらかった記憶があります。家族で乗り越えなければならない苦難だと分かっていましたが、「私もそんなに頑張らないといけないの?」「支えるって、何をどうすればいいの」という気持ちでした。裁判では、小学生だった私も法廷に立ち、意見陳述をしました。そうすることが両親の願いを果たす一助になると分かっていましたが、私の悲しみは私だけのものなのに、私の気持ちを裁判で勝つための武器として利用されているような感覚がして本当に嫌でした。亡くなった姉のために、今いる私の感情がないがしろにされているという気持ちを、長い間、持っていました。

私は、姉の死から距離を置きたいという気持ちでした。姉を想うことと「つらいことから距離を置きたい」という気持ちが同時に存在することはダメなのだろうかと悩んだこともありました。大学から一人暮らしを始め、物理的に実家から距離を取れるようになってからは、正直、一番気楽でした。私を一番助けてくれたのは、「時間」と「実家との距離」でした。その後、家族を亡くしたきょうだいを支援する「栞の会」と出会い、その時初めて同じような境遇の人たちと集まり、今まで誰にも言えなかった憤りとかを共有でき、嬉しかったことを覚えています。幼かった当時については、私の気持ちを両親に伝え、手助けしてくれる団体や存在があれば、違ったのかなと思います。

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