別添参考
参考-4 令和6年度交通安全ファミリー作文コンクールの最優秀作
○小学生の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
「つながれわたしのありがとう」
千葉県我孫子市立我孫子第四小学校 3年 永野 太凰
「運転手さんにちゃんとお礼を言おうね。せーの、ありがとうございました。」
道路をわたる時に止まってくれた車には、かならずふり返っておじぎをしてお礼を言うようにと、お母さんはまだ小さかったわたしに教えてくれました。ちゃんとお礼を言うと、両親がとてもほめてくれたので、わたしはそれがうれしくて出歩く時は車が止まってくれるとはりきってお礼を言っていました。
しかし、小学生になってから少したつと、わたしは止まってくれた車にお礼を言うことをしなくなってしまいました。他の小学生や大人たちには、同じようにしている人はいなかったので、わたしだけがふり返っておじぎをしていることがだんだんと「はずかしいな」と感じるようになってきたからです。
「お母さん、わたしは止まってくれた車にお礼を言っていたけれど、周りの人たちはそんなことはしていないし、わたしだけがやっているのがさい近はなんだかはずかしいんだ。」
ある日、わたしは少しゆう気を出してそう言ってみました。がっかりするかな?おこられるかな?などと思いましたが、お母さんの言葉はわたしの予想とはちがっていました。
「車が止まって歩行者を待つことはルールだからお礼を言うひつようはないと思っている人はたしかにいるね。でも、ありがとうを言われていやな気持ちになったことはある?」
「ないよ。うれしくて、気持ちがスッとする。」
「そうだよね。ありがとうにはすごい力があるんだよ。あなたの感しゃが運転手さんをうれしくさせて、次もまただれかのために止まってくれる。止まってくれた人もうれしくなる。そうやってありがとうの気持ちが名前も知らないだれかにつながっていくんだよ。」
それを聞いた時、わたしのお礼に手をふってくれたり、え顔を返してくれた運転手さんたちがいたことを思い出しました。その後もまただれかのために止まってくれたり、らんぼうな運転をしないように気をつけようと思ってもらえたなら、わたしのおじぎとお礼が交通事こをふせぐことに役立つかもしれません。そう思うと急にムクムクとやる気がわき上がってきました。
それからわたしは前よりも、もっとはりきってお礼を伝えることにしました。そうすると、おどろいたことにわたしがお礼をしているのを見た小さな女の子がまねをして、車に「ありがとう。」とおじぎをしていました。「わたしの行動があの女の子につながったんだ。」やる気のパワーをじゅう電してもらった気持ちになりとてもうれしくなりました。
みんなでありがとうの気持ちを伝え合えば交通事このない安全な町をきずいていけると思います。今日も、明日も、その先も小さな「ありがとう。」をわたしからどんどん発しんしていきたいです。

○中学生の部 最優秀作〈内閣総理大臣賞〉
「命を守るヘルメット」
広島県福山市立城北中学校 3年 新田 晄
僕は、中学校に入学し、自転車で通学しています。学校推奨の白いヘルメットを購入しました。ある朝登校時、ヘルメットをかぶりあごの下でカチッと音がするのを見ていた母が、「おじいちゃんを思い出すわー。」と言います。四年前に亡くなった祖父の事です。祖父は、家から近くの鉄工所に勤めていて、そこまではバイク(昔のスーパーカブ)で通勤していたらしいです。深緑のヘルメットにあごヒモの所をいつもきっちりしめて行っていたのが、とても印象的だったらしいです。近所の方々にも、安全運転は有名で、挨拶をよくしてくれる元気な人だったらしいです。……らしいというのは、僕が生まれる九年も前に交通事故にあい、車椅子生活になったからです。だから、僕は祖父の元気な安全運転のバイクの姿を見た事がありません。それをとても残念に思いますが、母と祖母は、「生きててくれただけで良かった。ヘルメットのおかげなんよ。」と教えてくれました。事故については、いつものように祖父がバイクで通勤していて、交差点の青信号を直進していたら、暴走し右折して来た対向車に、はねられた形になったそうです。祖父は、バイクごと横転し、道路に投げ出され、縁石で頭を強打し、縁石にべっとり赤い血がついていてひどい事故だと分かったと祖母が言っていました。けれど、ヘルメットをきちんとかぶっていた祖父は、頭は強打したけれど、ヘルメットに守られて、骨折は頭も身体もしていても、幸い記憶力や言語力は守られていたそうです。だから、事故から、二十年、身体に障害は残ったけれど、生きてくれたので、僕達とも会う事が出来ました。事故当初は、母と祖母は相手への恨みや憎しみに苦しんだそうですが、(消える事はありませんが、)その気持ちを祖父が回復するように応援する事だけに注ぐように切り換え痛みに耐え、リハビリを頑張る前向きな祖父の事だけ考えたそうです。一生寝たきりと言われていた所から、車椅子で生活出来るまで回復し、母も祖母も、祖父が生きてくれている事が本当に支えになったようです。
その反面、祖父が昔のように元気だったら、一緒に歩いたり、走ったり、買い物に出かけたり……。ほんの普通の日常が過ごせていたのに……。ただ普通の日常を送りたかった……と祖母が残念そうによく言っていました。
事故は、幸せな日常を壊します。ほんの少しのルールを守らない人がいたら、相手の人生もその家族の人生もまわりも変えてしまうかもしれません。その大変さを僕は、身近な人の辛い思いや経験で知っています。僕はまだ車の運転は出来ないけれど、将来車の免許を取ったら、正しく交通ルールを守って運転すると決めています。今は、毎朝あごの下で、カチッと音がするよう、きちんとヘルメットをかぶり交通ルールを守って自転車を運転する事を続けていこうと思っています。
